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 市電を新中川町で下車し、やや北にある「春徳寺」周辺の史跡をめざして歩きます。それほどパッとしたものがあるわけではないですが、長崎のルーツがある場所だけに避けることはできません。


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 新中川町の停留所のすぐ横の歩道沿いに小さな公園(丸山公園)があり、そこには「長崎開港先覚者之碑」が建っています。この地の大名・大村純忠と領主・長崎甚左衛門純景が描かれて、小さな町であった長崎を歴史的な港市に発展させた功績を顕彰しています。

 その長崎甚左衛門の居館があったのが、現在の桜馬場中学校の位置。その周辺の町が港が築かれる前の「長崎」の町でした。彼は大村純忠の重臣で、純忠の娘を妻としていた関係もあり、洗礼名ベルナルドというキリシタンとなっていました。この甚左衛門が長崎に多くの教会を建て、キリシタンを保護する後ろ盾にもなっていたのです。彼の像が長崎歴史文化博物館の裏手にある長崎公園に立てられています。


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 桜馬場中学校の南西コーナーに、草に埋もれて「春徳寺通」の石柱が。この坂を登っていくと目的地で至ります。それにしてもまた坂。長崎は本当に坂が多い。。。


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 春徳寺通の坂を登った所にある「烟草初植地」(たばこ栽培発祥の地)の碑。慶長年間に南蛮船で日本に輸入されたたばこはトードス・オス・サントス教会で栽培され、禁教後もこの地での栽培は続いたそうです。たばこが長崎名産品として江戸や大阪でも親しまれたとか。

 今となっては健康を害するたばこが、心身両面の健康を志向する教会で栽培されていた、というのは何ともいただけない話ですね。


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 そして春徳寺通を上りつめた所、春徳寺の石垣に貼り付くように「ルイス・デ・アルメイダ渡来記念碑」があります。改宗ユダヤ系ポルトガル人であるアルメイダ修道士(晩年に司祭)は貿易商として来日した後、イエズス会士となり、外科医療技術を活かして豊後・府内病院を確立した人物です。(大分県の遊歩公園のアルメイダ像はこちら
 その他にも彼の果たした役割は大きく、私財を投げ出して建設した諸施設や、九州全域から畿内に至る絶え間ない宣教の働きには敬意を抱かずにはいられません。

 1567年に長崎での伝道のためこの地に赴いたアルメイダ修道士は、領主・レオナルド長崎甚左衛門より居館近くの古寺を寄進され、長崎に教会を建設することになります。短期間に約500名が洗礼を受けたそうです。

 長崎甚左衛門の配慮とアルメイダたちの尽力が、結果として福田港から長崎へと港を移すことを成功させます。現在の長崎市街からやや離れたこの地は長崎の礎となった場所といえます。


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 この周辺の史跡をマッピング。見学地はもう一カ所、トードス・オス・サントス教会跡が残っています。


(つづく)