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 国道を渡ってサン・フランシスコ教会跡のはす向かいに桜町小学校があります。小学校前からクルス町と呼ばれていた方向(教会跡の方向)を撮影しました。


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 桜町小学校(旧・勝山小学校)は明治の始めに開校した長崎最古の公立小学校。

 長崎代官の村山等安がドミニコ会にこの土地を寄進し、1609年にモラーレス神父が鹿児島県の京泊の教会堂を解体して船でこの地に運び再建した「サント・ドミンゴ教会」がありました。

 その後、江戸幕府の禁教令により1614年には教会が破壊。朱印船貿易で栄えた末次平蔵の所有となります。1618年にはこの末次平蔵によって村山等安が訴えられて処刑され、末次家が代官の職を世襲することになります。それ以降この場所は長崎代官屋敷となったため、教会の碑と並んで「末次平蔵宅跡」の碑が建てられています。貿易で財をなした末次家ですが、四代目で密貿易の咎で流罪。家は断絶し、財産は没収されました。この地は引き続き代官職を引き継いだ高木家の屋敷となります。

 末次平蔵が村山等安を訴えるに至った原因の一つは南蛮貿易からの利権をめぐるものであったと言われます。ところが末次家はこの利益を追求する余り財産や名誉も含め全てを失ってしまいました。何か教訓めいたものを感じます。


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 1616年に置かれた代官屋敷の井戸が歩道脇に残っています。口径1メートル、深さ9.6メートルの素堀りの井戸とのこと。勝山小学校が非常に古い小学校だったこともあり、屋敷が使われなくなった跡に校庭の盛土がされたので遺構が残ったようです。


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 さて、小学校の建替の際に発掘されたサント・ドミンゴ教会と代官屋敷の遺構を見ることができる「サント・ドミンゴ教会教会跡資料館」は月曜日なので休館。小学校と同じデザインの門がおしゃれですね。ここには後日もう一度来ることになっているので、今日は通り過ぎます。


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 さて、この界隈を地図上にマッピング。江戸時代初期の教会跡は赤で、碑がある場所は●、何もない場所には▲で示してあります。教会以外は青文字にしてみました。

 サント・ドミンゴ教会跡資料館前を通っている”本来の”「八百屋町通り」はもともと「山のサンタ・マリア教会」へ行くための長崎最初の石畳道路だったとか。(現在、桜町小学校の北側を通っている路地が「八百屋町通り」とされていて、さるくのガイドなどでもそう記されていますが、当時は勝山町交差点から北に向かう大通りが八百屋町通りの本通りで、現在のものは横町だったことが分かっています。)そこから長崎歴史文化博物館に向かいます。


(つづく)