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 県庁付近の教会等の跡を地図上にマッピングしてみました。●印は碑の位置、▲印の場所は記念するものが何もありません。もう少しイメージしやすくするために、当時のだいたいの海岸線が分かるようにしました。地名をもとに江戸時代頃の埋め立て地も除いてみると、開港当時の長崎港と岬のイメージがしやすくなります。


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 ミゼリコルディア本部跡から天満坂を下り、賑町交差点へ。すぐ南東の大川に架かる「常盤橋」のたもとにひっそりと「サンアウグスティン教会跡」の碑と説明板が立っていますが、木が生い茂ってこれでは誰も気がつかないのでは?

 近づくまで見えないので、土地勘のないものには果たしてここの場所でいいのか悩みつつ橋を渡ってきましたが、たどりつき安堵しました。


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 サン・アウグスティン教会は1612年にアウグスティノ会の長崎本部として建てられた教会。禁教令のため1614年に破壊されます。長崎では禁教前に建設された教会としては最後のもので、わずか2年と短命な教会でした。


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 碑の場所から今の観光通り辺りが教会の管理地だったそうです。(北西~南東のおおまかな範囲は最初の地図参照)この写真でいうと橋より右手のビルが立ち並んでいるところ。

 イエズス会とは棲み分けがされてたようですね。


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 常盤橋から北へ。賑町の電停を越えて市電の軌道沿いに進むと長崎銀行本店があります。石碑も説明板も何もないのですが、ここがイエズス会のミゼリコルディアが運営していた病院の一つであるサン・チャゴ(聖ヤコブの意)病院と教会堂が1604年に建てられた場所でした。ハンセン氏病患者などがここで手当を受けましたが、ミゼリコルディア本部同様1620年には破壊されます。

 このサン・チャゴ病院のものと思われる「HOSPITAL SANTIAGO 1612」の銘と十字架のみられる銅鐘が、なぜか大分県竹田の岡藩主である中川家に伝来し、今も竹田市立歴史資料館に展示されているのですが、私がそのことを知ったのは竹田の町を訪れた後のことでした。残念。

サン・チャゴ病院の銅鐘についての解説(岡藩城下町400年祭のサイト)

 ところで、この長崎銀行本店の建物ですが、ステンドグラスも配するおしゃれな建物で、このまま教会に使えそうです。


(つづく)