$WORSHIP@Blog

 久しぶりに長崎に出かけました。かつては観光客が誰でも知っているような場所しか回れませんでしたが、「さるく」のコースとしていろいろな情報が出て来るようになった上に、世界遺産候補を強みとする観光都市として長崎が整備されてきました。
 今回は「こんな観光は普通はしない」という長崎のキリスト教関連遺跡を巡る旅をしてみます。


WORSHIP@Blog

 大村にある長崎空港から、バスで長崎市内へ。日本最初のキリシタン大名である大村純忠の所領を通っていきます。
 レンタカーを借りて移動、という方法もありますが、長崎市内の細かい所を回るにはちょっと不便。坂の街長崎は所々に階段もありますし、駐車場代も馬鹿にならないので、初日は使いません。


WORSHIP@Blog

 予定していたレンタサイクルが借りられなかったため、市電の一日乗車券を利用することに。まず長崎駅から南へ。「大波止」停で下車。今でも長崎の港がこの近くの海岸にありますが、かつてはこの辺りが長崎の港。地名の通りです。埋め立てられているので少し内陸寄りなのが分かります。


WORSHIP@Blog

 そこから東方へ少し坂道の上ると長崎県庁の第三庁舎があります。道路も先が上り坂になっているのが分かると思いますが、この辺りが長崎の町が建設されたころの岬の海岸線になります。

 貿易港としての機能はそれまで使用されていた平戸から1561年の宮の前事件をきっかけに横瀬浦へ移動。その横瀬浦も1563年には後藤貴明により破壊され福田港に移動。この福田港が外海に面しているため風波が強く安全面で問題があったため1570年に長んか(長い)岬=長崎が開港されることになりました。


WORSHIP@Blog

1571年のポルトガル人が手配した唐船2隻の入港を始まりとして、多くの南蛮貿易船が行き来しました。今では周囲が埋め立てられて思いもよりませんが庁舎の傍らに建てられた「南蛮船来航の波止場跡」の碑がその記憶を今に伝えています。

 1582年の天正少年遣欧使節派遣、キリシタン禁令後の1614年高山右近・内藤如安らの追放が行なわれたのもこの波止場です。キリシタン時代の光と影を見つめてきた港、長崎の始まりであり発展の礎、ここから旅が始まりました。


(続く)