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 桂浜から御畳瀬の対岸へ移動。ここからは浦戸湾全体を見渡すことができる。目の前にある景色の中で日本の歴史を変える二つの出来事が起こった。一つはサン・フェリペ号事件、もう一つが坂本龍馬最後の帰郷、である。

 1596年、スペイン船のサン・フェリペ号は台風に遭遇し船体を損傷、土佐に漂着した。長宗我部元親の検分の後に船は浦戸湾へ曳航、しかし湾内のクリス(たぶん礫州だろう)で座礁。その後積荷は没収され、秀吉による再度の禁教令が発布される。都のフランシスコ会宣教師、信徒、一部イエズス会信徒などに加え、サン・フェリペ号に同乗していたフランシスコ会士、計24名(後に2名が加わる)が捕縛され長崎の西坂で処刑された。二十六聖人の殉教として伝えられるこの出来事が実質的に日本の切支丹迫害の端緒となったといってもよい。しかしこれを引き起こした要因の一つがイエズス会とフランシスコ会の反目にあったことも忘れてはならない。

 1867年、坂本龍馬が御畳瀬の浜にある袂石に芸州藩船の震天丸をつけて対岸に上陸。万が一倒幕が武力によって行なわれる際に役立つように千挺の銃を土佐藩に売り渡すために、脱藩後五年ぶりの帰郷を果たした場所である。土佐での仕事を終えると龍馬は京都へ。後藤象二郎も動きわずか二十日程度で大政奉還、そしてそのひと月後には近江屋事件での龍馬暗殺。時代は明治維新へ急速に動き始める。


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 御畳瀬の対岸から撮影した浦戸湾。撮影した種崎は前述の龍馬上陸地点付近だ。

 戦時中に港を整備するために湾内の小島が破壊されるなど、かつての地形とは少々面持ちが変わっているようだが、ここでサン・フェリペ号が座礁し、龍馬が大政奉還に向けての最後の準備のために入港した場所。

 不思議な話だが、キリスト教禁令がはじまるきっかけになった場所がここであり、キリスト教禁令撤廃に動くきっかけになった場所もここなのだ。禁教が本格派する江戸幕府の開始に重要な役割を果たしたのが山内一豊であり、その幕引きのためのキーマンが山内容堂。土佐藩で始まった日本史上まれに見る悲劇のドラマが、土佐藩によって終演、というのは偶然だろうか?

 聖書に出て来る「贖い(あがない)」とはまさにこのようなものではないだろうか。悲劇的な歴史の開始地点が、その歴史を塗り替える場所として登場する。悲劇的な歴史を作った家が、その歴史を塗り替える家として登場する。そして悲劇的な歴史を生み出した藩から、それを塗り替える人物が起きる。歴史を越えた大きな流れをそこに見ることができるのではないか。


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 地図上にクリスと袂石の場所を記すとこのような位置関係になる。


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 写真に写る船の後方がサン・フェリペ号の座礁した付近と思われる。 

 切支丹史のさまざまな悲劇を、そして今ある希望を思いながら、しばらくこの地で祈る時をもった。




 気がついたら1時間たっていて、3分遅れで電車に乗り遅れたのはたまにきず。

(つづく)