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 イスタンブールはもともとビザンティウム、そしてコンスタンティノープルと呼ばれていました。特にコンスタンティノープルの名はローマ帝国を再編したコンスタンティヌス帝がこの地を帝国の新しい都と定めた時以来、ローマの、そして東ローマ帝国の首都として名を知られるようになります。

 そのコンスタンティヌス帝から始まり、災害や人災に遭いながらも再建、修復が繰り返された聖堂「アヤ・ソフィア」。現在に残るのは有名なユスティニアヌス帝の再建したものがベースになっており、それを改修、修繕し、さらに十字軍とオスマン・トルコ軍の侵攻を経て、イスラム教のモスクとされていく古代から中世における最大級の聖堂の遺跡です。


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 非常に堅固な造りで、強度に劣る部分は随時補強がされていた聖堂の建物は、現在に至るまでその姿を保ちました。


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 聖堂内部。さまざまな所に付加されたアラビア文字は、この建物がモスクとして使われていた時代の名残です。古代の様式の柱などがこの建物の歴史を感じさせます。

 現在のトルコ共和国になってからアヤ・ソフィアは史跡博物館となり、かつての教会堂時代の姿を取り戻しながら修復工事が続けられています。


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 下の方にある金色のドアのような形のものがメッカの方角を示すミフラープ。モスク時代にはこの方向に向かって祈りが捧げられていました。その上の丸屋根には聖母子像のモザイクがある。この建物の中で最も古い9世紀のもの。


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 ビザンティン帝国(東ローマ帝国)時代に皇帝の戴冠式が行なわれていた場所。


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 モザイクのイエス・キリストにひざまづくレオ6世の像。加えてマリアと天使ガブリエルが円の中に描かれています。下から斜めに見上げることを想定して描かれているという周到さに驚きます。(正面から見ると不格好だそうですが)

 このモザイクは皇帝専用の門の真上に描かれています。


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 一番有名なディーシス(誓願図)のモザイク。イエス・キリストをはさんでマリアとバプテスマのヨハネが描かれます。

 多くのモザイクなど、キリスト教の意匠のもの(というよりイスラム教でいうと「偶像」になるのでしょうか)がほとんど破壊されなかった代わりに漆喰で覆われていましたが、20世紀に入って信教の自由が憲法で認められたトルコ共和国になり、アメリカの研究者が漆喰を除去して修復する許可を得たことで、今私たちにも見ることができるようになりました。

 他にも多くのモザイクがありましたが、以下省略で。

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 これは壁面に描かれたイザヤ書に登場するケルビム像。例にもれず顔の部分に不可解な模様が描かれて謎の図像になっていましたが、顔が発見されるとケルビム像であることがはっきりしました。丸天井を囲むように4体描かれています。


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 アヤ・ソフィアやイスタンブールの歴史はキリスト教史でもたびたび取り上げますが、今回実際に行ってみて一層リアルに感じるようになりました。特にアヤ・ソフィアの中の多くのイスラム教モスク時代の遺物を見ると、イスタンブール陥落が今起きた出来事のように思われます。そしてその原因を作った十字軍のこと、さまざまなキリスト教会の悪弊のこと・・・。ビザンティン帝国の栄華とそれを台無しにした愚かさを改めて認識させられた場所でした。


(つづく)