$WORSHIP@Blog

 ローマ時代、属州アジアの首都として栄えたエフェソスの町。今や世界遺産に登録され観光客で溢れています。おそらく古代も多くの人の往来があったことでしょう。使徒パウロが宣教した町、また使徒ヨハネの働きの場所として知られています。

 エフェソスというとこの場所の写真が採り上げられるクレテス通り。


$WORSHIP@Blog

 エフェソスの駐車場(港側ではない方)に到着するとすぐ現れる「ルカの墓」。

 実際は、地下の聖堂への南側入口の柱形にある牛と十字架のレリーフから、「ルカの墓」(ヒエロ二ムスなどが黙示録の四つの生き物のうち牛をルカに比定したため)と誤解されてしまったというのが実情のよう。


$WORSHIP@Blog

 ドミティアヌスの神殿。暴君と呼ばれたローマ皇帝が自ら建立させた神殿。ドミティアヌスはキリスト教徒の迫害者ではありませんが、ユダヤ戦争後のユダヤ人に対する課税を強化しており、支払うことのできないユダヤ人クリスチャンは当然処罰の対象となりました。使徒ヨハネのパトモス流刑はこのドミティアヌスの時代に起こっており、皇帝礼拝を拒否するなどの信仰的理由からだったのか、あるいはユダヤ人であるヨハネやその教会に降り掛かった多額の納税に端を発するのか、
いずれにせよ何らかの理由があったのでしょう。


$WORSHIP@Blog

 ケルススの図書館。彼の遺産により12000冊の蔵書を持つ図書館が建設され、アレキサンドリア、ペルガモンに次ぐ施設となりました。


$WORSHIP@Blog

 この図書館の石段に刻まれたメノラ(燭台)。ただの落書きだったのか、あるいはもっと深い意味があったのか。

 この図書館の敷地に売春宿への隠しトンネルがあったので、敬虔なユダヤ人が図書館に来た目的を見失わないよう自戒のために刻んだ、、、というのもアリでしょうか。

 エフェソスは港町だったので、例にもれずあまり道徳面でクリーンとはいえなかったようです。


$WORSHIP@Blog

 そして円形劇場。煽動されたエペソの人たちがここに集まり「偉大なのはエフェソス人のアルテミスだ!」と連呼していたあの場所です。パウロはあまりの人の多さにこの劇場に入ることが出来なかったと使徒言行録に記されています。

 以前、教会の皆さんがトルコツアーに出かけられた時にピーター・ワグナー先生(別名カーネル・サンダース)が呼びかけた祈りの集会がこの場所で開催されたのですが、僕は当時は参加できず。十数年たってようやく来る事ができました。


$WORSHIP@Blog

 エフェソスの港に繋がるハーバー通り。港に到着した人々や船に乗船する人々が行き来した道です。パウロやテモテといった弟子達がマケドニアに向かう際、もし船で向かったとしたらこの道を通って行ったことでしょう。またアポロなどもこの道からエフェソスに入ってきたのかもしれません。そんな彼らの心にはエフェソスで彼らが体験した大きな苦難と共に、そこで起こった著しい神の御業が去来していたのではないでしょうか。



(つづく)