「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
この世の仕組みとして
腑に落ちはじめている部分があります。
それが先の者が後になるこの部分です。
意味深ですよね。
まず最初に
わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。
という部分は、
ハイヤーの導きのまま
自分自身の素直さ、神としての表現、インスピレーションを最優先として、自分(自我)としての全てを後にする覚悟が100倍もの報いにつながる
ということですよね。
実際、魂の道をゆくときに
〝私の名〟(ハイヤーとの繋がり)のために全てを捨てるという場面に出会うことがあると思います。
素直な感覚ゆえに
自我の大切なものを捨てる覚悟で
選択する場面です。
それでも…
それでも、です。
先にいる多くの者が後になり、
後にいる多くの者が先になるんですね。
これは、聖書の他の箇所にも出てくるセリフで、
『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』
このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。
マタイによる福音書 20:12, 16 新共同訳
(※後からやってきた労働者に、同じ賃金が払われた話です。)
意味深すぎるのですが、
でも、これって本当なんじゃ無いかと思うんです。
皆さまも、
色んな先人に出会うことがあったと思います。
・社会でうまくやっている人、
・霊視ができる人や、
・観念を見破る人、
・いつも幸福感で満ちている人、
・現実化の上手い人。
先を行く人を通して、勉強してきたりも
したのでは無いでしょうか。
でも、少しして(地球的に言うと)
その人を追い抜いたような感じがした事ってなかったでしょうか。
/
あれ?
あの人 、すごく地球的だったのね
あれ?
あの人、案外ストーリーに呑まれているのね
\
というように、
自分の人生に集中しているうちに
かつて「教えてくれていた」相手が
(良い悪いではなくて、正直なところで)
意識の面で、幼く感じられてきたことがあったんじゃないかと思うんです。
これが、
後のものが先になり
先のものは後になる
という仕組みなんじゃないかと感じています。
それを思うと、
先にいて教えてくれる人は
ものすごい貢献と献身という愛ですから
感謝と尊敬を感じますし、
自分が後の人に教えるとしたら、
自分を追い抜いていく人として
尊敬の心を持って関わりたいと思うのです。
そして、いつかは
前も後もなく、
一つの体として
ワンネスのひとかたまりの魂になるものですから、
(=同じ賃金が支払われる。マタイ20:12)
ジャッジを手放して、
今ここの自分の立ち位置に
熱中していきたいなと思うのです。
スピリチュアルな道、魂の道は
後にいる者が先になり、
先にいる者が後になる。
だから、
後の人のことは馬鹿にできず、
先の人には感謝して追随しすぎない。
この摂理は、
傲慢さや謙虚さを越えられるように敷かれた
愛の仕組みなのかもしれません。
前回に引き続き、マニアックな内容になりました。お付き合い頂き、本当にありがとうございます。