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 なんとなく ヨーロッパ

 フランスに住んでいるので、パリとフランスの話が多くなると思いますが、
 まぁ気分で。



聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物があるサン・テチエンヌ・デュ・モン教会です。

内部はちょっと変わった造りになっていました。

内陣と身廊の間にジュベという高廊があるんです。(写真)

説教や福音書の朗読に使われたとか。




15世紀、16世紀の頃は、どの教会にもこのような高廊があったそうですが、

現在パリで、ジュベが残っている教会はここだけだそうです。





後陣よりさらに奥に礼拝堂があって、

わりと低い位置に17世紀のステンドグラスがありました。

なかなかイイ。










この教会には、パスカルとラシーヌのお墓があるみたい。

今度行ったら確認してみよう。




この前「パンテオン」のところで、

聖ジュヌヴィエーヴのことを少し書きましたが、ガイドブックを読んだら、

パンテオンのすぐ近くのサン・テチエンヌ・デュ・モン教会に、

聖遺物があるというので、また出かけていきました。

リュクサンブール公園の写真は、その日に撮ったものです。


サン・テチエンヌ・デュ・モン教会は、

前を何度も通っているけど、なかに入ったことは無かったのでした。

パリには教会が多いからね。




教会に置いてあった印刷物によると、

聖ジュヌヴィエーヴが生まれたのは420年頃。

場所はナンテールかサン・ジェルマン。(パリ郊外のナンテールかな。)

亡くなったのは502年。

晩年はクロヴィス王の友人であり、助言者であったそうです。

510年、クロヴィス王はバジリカを建立、

511年に聖ジュヌヴィエーヴの遺体をそこに移しました。

クロヴィス王と王妃の墓もそこにあったそうです。

場所はサン・テチエンヌ・デュ・モン教会の横、

現在はリセ・アンリ4世校(高校)となっているところ。


1229年、聖エチエンヌに捧げられた教会ができる。

もっと大きな教会が必要になり、1492年着工。

1626年完成。(現在のサン・テチエンヌ・デュ・モン教会。)


フランス革命のとき、聖ジュヌヴィエーヴの遺骸は、

現在の市庁舎前の広場で焼かれ、骨や灰はセーヌ川に捨てられました。

王や王妃と同じところに墓があったためでしょうか。

1793年だから、ルイ16世やマリー・アントワネットが

ギロチンにかけられた年ですね。




革命前に他の教会に分けてあった聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物が、

ノートル・ダムやサン・テチエンヌ・デュ・モン教会に移されました。

1802年には修道院付属教会のクリプトにあった聖ジュヌヴィエーヴの石棺が

発見され、サン・テチエンヌ・デュ・モン教会に置かれました。

1850年にはその聖遺物箱が作られました。(下の写真)

金箔を張った銅だそうです。





樹々はまだ葉っぱをつけていませんが、

日はだいぶ長くなってきました。




日中の気温も上がってきたけれど、

夜とか朝はまだ寒いです。




天気予報によると、最低気温は3度、最高気温は14度。

まあ、そんなところでしょう。