なんとなく ヨーロッパ -269ページ目

 なんとなく ヨーロッパ

 フランスに住んでいるので、パリとフランスの話が多くなると思いますが、
 まぁ気分で。

 
 
(2016年9月7日)
車に戻ったら17時頃でした。
シャウレイじゃなくて、他のところに泊ってもいいんじゃないかと思ったんだけど、
この付近には他に観光地のようなところはないみたい。
天気も怪しいし、シャウレイでいいか、わりと大きい町みたいだし。

でもホテルの数は多くないみたい。
最初に行ったホテルは、入口が分からなくて隣の店で訊いたら、
フロントは無いから、電話しないといけない、だって。
『・・・他に行こう。』
次のところは町で一番高いらしいけど、満室でした。
高いと言っても、この国の物価を考えれば、僕でも泊れるだろうと思ったんだけど。
そこでもらった町の地図に、他にも幾つかホテルが出ていました。

その地図に載っていた大きなホテルに行って、フロントのオバさんに訊いたら、
しばらく調べてから、「あります。パスポートを。」って言うから、
「いくらですか?」って言ったら、「25ユーロ。朝食付きだと30ユーロ。」だって。
『・・・安過ぎる。』と思って、「見せてもらえますか。」って言ったら、ダメだとか。
パンフレットに写真が載っていて、それを見るとかなり狭い。
「広い部屋がよければ、こういう部屋もあるわよ。」って言うから、
値段を訊いたら、朝食付きで50ユーロだって。
こっちは鍵をくれて、見てもいいと言われた。
ちょっと迷ったけど、50ユーロの部屋にしました。
かなり広い。ダブルベッドのほかに革張りのソファーが2つありました。
バスとトイレが別になってるし。
 
 
 

『自分のようなものが、こんなところに泊ってもいいのだろうか。』とか思ったけど、
フランスでは絶対に泊れないから、この機会に泊っておこうとか思ったりして。
(だいたいパリには50ユーロのホテルなんてあるのかな。)
駐車場は地下にあって、一晩3ユーロだって。
窓から町のメインの教会が見えるし。

ホテルの近くは住宅街で飲食店はないので、教会の辺りまで歩きました。
車で行くことも考えたけど、駐車するところがないと面倒だな、と思って。
歩いたら10分もかからなかったかな。
 
 
 
 
 
 
 

中華レストランがあったので入りました。以前は地下のバーだったという雰囲気。
キッチンには中国人がいるみたいだけど、サービスしてるのはこの国のオジさんでした。
メニューはリトアニア語と英語でした。
椎茸と筍と豚肉の料理、ご飯、ビールにしたんだけど、前菜が欲しい。
スープとかサラダはあったけど、春巻とか餃子とかシュウマイみたいなものは無いのかな。
よく分からなかったので、サンクト・ペテルブルグのときみたいに漢字で書こうと思って、
「キッチンには中国人がいるんでしょう。」って訊いてみたら、
いるけど言葉は通じないとか、断られた。 よくワカラナイ。
 
 
 

量が多かったですね。2人分くらいあるんじゃないか。
4分の1くらい残しました。でも、まあまあ美味しかった。全部で9ユーロ。安い。
10ユーロ置いてきました。
 
 
 

ホテルに帰るのに、来たときとは違う道を通ってみたら、
こっちがメインストリートみたいで、飲食店とか並んでいました。
今日は中華料理を食べたかったから、べつにいいんです。
歩行者専用の道で、泊っているホテルまで続いていました。
 
 
 

部屋から教会がライトアップされているのが見えました。
部屋が広いと気分がいいですね。
テレビはアンテナの線の接触が悪いみたいで、ちゃんと映らなかったけど、まあ、いいや。
田舎だから、見たいチャンネルは入っていないみたいだし。
というコトで、一日終わり。

下はリトアニアのユーロコインです。
フランスでは見たことがないですね。
ユーロが導入されたのは去年(2015年)だとか。
 
 

上段左から、2ユーロ、1ユーロ、50セント
下段左から、10セント、2セント
(20セント、5セント、1セントは手に入らなかった。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(2016年9月7日)
十字架の丘の周りには広い玉ねぎ畑とかあって、長閑なものです。
 
 
 
 
 
 
 
 
写真をたくさん撮って戻ったら、また日本人の団体が来ました。
『へー。』って感じ。老夫婦が多かったな。
 
 
 
 
 
 
 
 
売店で小さな虫の入った琥珀を売ってました。
1つ3ユーロ。選んで3つ買いました。
「ジュラシック・パーク」を思い出したりして。
 
 
 
 
そしたら、日本人の団体がもう戻ってきた。早いじゃん。
見学時間が30分とか決められているんだろうな。
 
 
 
 
なんと中国人の団体も来ました。
中国は共産国で無神論だから来ないだろうと思ったけど、関係ないみたい。
ヴィリニュスとラトヴィアの首都リーガの間にあるから、皆寄って行くのでしょう。
 
 
 
 
 
 
(2016年9月7日)
この十字架の丘は、ちょっと不思議なところですね。
教会があるわけでもなく、お墓があるわけでもないのに、
十字架だけがこんなにたくさん立っているのです。
 
 
 

宗教を認めないソ連の支配に対する抵抗運動みたいな感じだったんでしょうね。
ソ連はこの丘の十字架をブルドーザーで壊したそうです。(少なくとも3回)
その度に新しい十字架が立てられ、その数は増えていきました。
 
 
 

『最初は、どういうことだったんだろう。』と、ふと思ったのでした。
『追悼のためかな。』と。
調べてみました。
 
 
 

1795年、リトアニアがロシアに併合される。
1831年、ロシアの支配に対して蜂起。
    この反乱で亡くなった者たちの家族が、遺体の行方が分からないので、
    十字架を立てたそうです。
1863年にも蜂起がありましたが、失敗に終っています。
 
 
 

1985年、ソ連は十字架を撤去することを諦めました。
(ゴルバチェフが指導者になった年ですね。)

1990年、リトアニアが独立を宣言。(十字架の数は約55000。)
1991年9月、ソ連がバルト3国の独立を承認。
1991年12月、ソ連崩壊、ロシア連邦成立。

1993年9月7日、ヨハネ・パウロ2世がこの丘を訪問。
2006年、十字架の数が10万を超える。
 
 
 
 
 
 
 

僕も、不思議のメダイのシャプレを一つ置いてきました。