(2016年9月7日)
この十字架の丘は、ちょっと不思議なところですね。
教会があるわけでもなく、お墓があるわけでもないのに、
十字架だけがこんなにたくさん立っているのです。
この十字架の丘は、ちょっと不思議なところですね。
教会があるわけでもなく、お墓があるわけでもないのに、
十字架だけがこんなにたくさん立っているのです。
宗教を認めないソ連の支配に対する抵抗運動みたいな感じだったんでしょうね。
ソ連はこの丘の十字架をブルドーザーで壊したそうです。(少なくとも3回)
その度に新しい十字架が立てられ、その数は増えていきました。
『最初は、どういうことだったんだろう。』と、ふと思ったのでした。
『追悼のためかな。』と。
調べてみました。
1795年、リトアニアがロシアに併合される。
1831年、ロシアの支配に対して蜂起。
この反乱で亡くなった者たちの家族が、遺体の行方が分からないので、
十字架を立てたそうです。
1863年にも蜂起がありましたが、失敗に終っています。
1985年、ソ連は十字架を撤去することを諦めました。
(ゴルバチェフが指導者になった年ですね。)
1990年、リトアニアが独立を宣言。(十字架の数は約55000。)
1991年9月、ソ連がバルト3国の独立を承認。
1991年12月、ソ連崩壊、ロシア連邦成立。
1993年9月7日、ヨハネ・パウロ2世がこの丘を訪問。
2006年、十字架の数が10万を超える。
僕も、不思議のメダイのシャプレを一つ置いてきました。








