肉体の欲望の起源は、物理的なものではない。自我は肉体を自らの家と見なし、肉体を通して自らを満足させようとする。
Body appetites are not physical in origin. The ego regards the body as its home, and tries to satisfy itself through the body.
しかし、それが可能だという考えは、心による決断であり、心は、何が本当に可能なのかについて完全に混乱をきたしている。
いわゆる「生存のための戦い」とは、自我による自己保存のための苦闘にすぎず、自我のはじまりについての自我による解釈に他ならない。このはじまりは通常、物理的な生誕と結びつけられる。なぜなら、それ以前の時点で自我が存在していたと主張することは難しいからである。より「宗教的な」自我志向の者は、魂はそれ以前にも存在し、自我としての人生という短期的な逸脱に陥った後も存在し続ける、と信じるかもしれない。なかには、この逸脱のせいで魂は罰せられるとさえ信じる者もいる。けれども、救済は霊には当てはまらない。霊は危険にさらされてはおらず、救助される必要はないのである。
However, salvation does not apply to spirit, which is not in danger and does not need to be salved.