なんとなく ヨーロッパ -10ページ目

 なんとなく ヨーロッパ

 フランスに住んでいるので、パリとフランスの話が多くなると思いますが、
 まぁ気分で。

 

 

2024年7月16日 (火)

クレルモン・フェランに向かいます。

 

 




ピュイ・ド・ドーム(Puy de Dome)の頂上に登山電車で上りました。

 

 

 

 

 

 

 

 


ここも2度目です。

 

 

 


眺めがいい。

 

 









空を飛んでる人がいました。

これで去年の話は終りです。
 

 

 

マリア様の御出現とブノワットを描いた絵

 

 

1664年5月 聖モーリスがブノワットの前に現れ、

『聖エティエンヌ教会の上の谷に行きなさい。そこで聖母に会えるだろう。』と告げました。


1664年6月初旬 ブノワットは羊と山羊の群を連れて、

Foursの谷と呼ばれるところに行きました。
そこで小さな子供を連れた美しい女性に会いました。
顔が輝いているような印象を受けましたが、マリア様だとは思いませんでした。
その後ブノワットは何度もこの女性に会いました。



1664年8月29日 ブノワットが女性に名前を尋ねたところ、「マリアです。」と答えました。

 

 

 

1664年9月29日 Pindreau(パンドロー)
ブノワットが羊と山羊の群を連れていたとき、 Pindreauの近くで大きな光を見ました。

近づいてみるとマリア様でした。
このときはマリア様一人でした。
マリア様は、(直訳すると)「Lausに行きなさい。良い匂いのするチャペルを見つけなさい。

そこであなたは何度も私と会ったり、話したりするでしょう。」と告げました。


 

 

 

Lausの村は、その場所から1500mくらいのところにありました。
当時は貧しい村で、チャペルの広さは15㎡もありませんでした。
ブノワットがその日のうちに行ったのか、翌日行ったのかは記録がありません。
ブノワットがLausに行ってみると、チャペルと民家の区別がつきませんでした。
彼女は匂いを頼りにチャペルを見つけ、中に入ってみると、

マリア様がそこにいらっしゃいました。
 

 

 

 

マリア様の輝きで、チャペルの中は明るくなっていました。
マリア様が埃の積もった祭壇の上にいたので、

ブノワットは自分の前掛けをそこに敷こうとしましたが、マリア様はそれを断って、

「(ここには、)すぐに、すべてが揃うでしょう。」と言いました。
 

 


1669年  
Lausの村から500mほどAvançon(アヴァンソン)の方向に行ったところに、

十字架がありました。
ブノワットは習慣的にこの十字架のところで祈っていました。
彼女は自分の部屋にいたとき、とても強く良い香りを感じました。
聖霊に導かれるように、この十字架のところに行くと、
彼女はそこで十字架に掛けられた血まみれのイエスのヴィジョンを見ました。
驚き混乱しているブノワットに、イエスは、

「罪びとに対する私の苦しみと愛をあなたに見せるために、この姿で現れた。」

と言いました。
 

 

 

 

現在のチャペルが建設されたのは1862年です。
La chapelle du Précieux Sang(貴重な血のチャペル)と呼ばれています。
天井から吊るされている金属とガラスのケースの中に入っているのが、当時の十字架です。
 

 

 

 

 

Notre-Dame du Laus(ノートルダム・デュ・ロウ)

 

2024年7月15日 (月)

ラサレットから遠くないところに、もう一つマリア様が現れた場所があります。
(地図の青い点はラサレット)
Saint-Etienne-le-Laus(サン・テェチエンヌ・ル・ロウ)という村で、
御出現があったのは、1664年から1718年にかけて54年間。(!)


 

 

 

マリア様を見たのは、羊飼いをしていたBenoite Rencurel(ブノワット・ランキュレル)。
最初の御出現のときは16才でした。






ここの聖母御出現をバチカンが認めたのは2008年、ベネディクト16世の時だそうです。
わりと最近ですね。
昔は、バチカンはルルドとファティマしか認めていないと言われていたと思う。



 

 

 

 

 

 

ここも2回目ですが、昔来たときよりも綺麗になっていたような気がする。
教会は大きくないし、訪れる人も多くはないみたい。
それでもやっぱり他の教会とは違う雰囲気があります。
 

 

 

 

Benoite は、この建物の地上階の部屋に住んでいました。
(生まれたのはここではありません。)