奇跡講座 テキスト編 (133) |  なんとなく ヨーロッパ

 なんとなく ヨーロッパ

 フランスに住んでいるので、パリとフランスの話が多くなると思いますが、
 まぁ気分で。

 

 


奇跡講座 テキスト編 p.337 – p.338


あなたには愛と恐れという二つの感情があるだけだと、私は述べた。一方は不変であるが、永遠なるものから永遠なるものへと差し出されて、絶えずやりとりされている。このやりとりにおいて、それは延長されていく。それは与えられるたびに増加するからである。もう一方の感情は多くの形態をとる。個人の幻想の内容は大幅に異なるからである。だが、それらの幻想には一つの共通点がある。すなわち、それらはどれもみな狂っている。それらは見られることのない光景と、聞かれることのない音声でできている。そして共有できない私的な世界を作り上げる。というのは、それらはその作り主にとってのみ意味あるものだからである。したがって、それらにはまったく何の意味もない。このような世界では、それらを知覚するのはその作り主だけであるから、彼がひとりで動き回っているだけである。



誰もが、自分の個人的な過去からの人影たちで自分の世界を埋め尽くしている。個々の私的な世界が異なる理由はここにある。だが彼が見ている人影は一度も実在したことはない。兄弟たちに対する彼自身の反応だけから作られており、そこには彼に対する兄弟たちからの反応は含まれていないからである。したがって、自分が彼らを作り出したということも、彼らは全一ではないということも、彼にはわからない。これらの人影は一個の分離した心の中だけで知覚されており、彼らにはひとりも証人がいない。



投影が知覚を作り出す。そして、あなたにはその向こうが見えない。幾度となくあなたは兄弟を攻撃してきたが、その理由は、あなたが彼の中に自分の私的な世界の中の影法師を見たからである。だとすれば、あなたは必ず自分自身を最初に攻撃しているはずである。なぜなら、あなたが攻撃する対象は他者の中にはないからである。その唯一の実在性はあなたの心の中にあり、他者を攻撃することにより、あなたは文字通りそこに存在しないものを攻撃している。



妄想を抱く者たちはきわめて破壊的になり得る。それは、彼らが自分で自分を咎めたということを認識しないからである。彼らは死にたくはないが、咎めは手放さない。それゆえに、彼らは自分の私的な世界の中へと分離していく。その世界の中では、すべてのものに秩序がなく、内なるものが外にあるように見える。だが、内なるものを彼らは見ない。なぜなら、彼らは兄弟たちの実相を認識できないからである。



愛は、愛が訪れても愛として認識されない切り離された世界にはとどまれない
love cannot abide in a world apart, where when it comes it is not recognized



誰でも、自分が愛するものに近づき、恐れるものからは後ずさりする。そしてあなたは愛に対して恐れをもって反応し、愛から遠ざかる。だが、恐れはあなたを惹きつけ、あなたはそれが愛だと信じ、それを自分自身へと呼び寄せる。あなたの私的な世界は、あなた自身がその中に招き入れた恐れの人影たちで満たされている。そしてあなたは、兄弟たちがあなたに差し出している愛のすべてを見ていない。
Everyone draws nigh unto what he loves, and recoils from what he fears. And you react with fear to love, and draw away from it. Yet fear attracts you, and believing it is love, you call it to yourself. Your private world is filled with figures of fear you have invited into it, and all the love your brothers offer you, you do not see.



あなたは自らの狂気の中で、実相を完全に見落としており、目を向けるあらゆるところに自分自身の分裂した心だけを見る。神があなたに呼びかけていても、あなたには聞こえない。自分自身の声に気を取られているからである。そして、あなたは自分だけを見ているので、キリストの心眼はあなたの視界の中にはない。
In your madness you overlook reality completely, and you see only your own split mind everywhere you look. God calls you and you do not hear, for you are preoccupied with your own voice. And the vision of Christ is not in your sight, for you look upon yourself alone.