奇跡講座 テキスト編 (99) |  なんとなく ヨーロッパ

 なんとなく ヨーロッパ

 フランスに住んでいるので、パリとフランスの話が多くなると思いますが、
 まぁ気分で。

 


奇跡講座 テキスト編 p234 – p236


自我にとっては、誤りを指摘して「訂正する」ことは親切なことであり、正しく、良いことである。誤りとは何か、訂正とは何かを自覚していない自我には、これは完璧に意味をなす。


兄弟の自我の誤りを指摘するなら、あなたは自分の自我を通して見ているに違いない。なぜなら、聖霊は兄弟の誤りを知覚しないからである。自我と聖霊の間にコミュニケーションはないのだから、これは間違いなく真実である。自我は意味をなさないものであり、聖霊は自我から生じるいかなるものも理解しようとはしない。聖霊はそれを理解しないので、それを裁くことはせず、自我が作り出すものには何の意味もないと知っている。

少しでも誤りに反応するとき、あなたは聖霊に耳を傾けていない。聖霊は誤りをただ無視したのだから、あなたが誤りに注意を向けるなら、聖霊から聞いていないことになる。聖霊から聞いていなければ自我に耳を傾けているのであり、あなたが誤りを知覚している相手である兄弟と同じく、あなたもほとんど意味をなしていない。これは訂正ではあり得ない。だが、それは単に兄弟が訂正されないという以上のものである。それはあなた自身の中で訂正を放棄することである。
When you react at all to errors, you are not listening to the Holy Spirit. He has merely disregarded them, and if you attend to them you are not hearing Him. If you do not hear Him, you are listening to your ego and making as little sense as the brother whose errors you perceive. This cannot be correction. Yet it is more than merely a lack of correction for him. It is the giving up of correction in yourself.


兄弟が正気ではない行動をしているとき、あなたは彼の中に正気を知覚することによってしか彼を癒すことはできない。あなたが彼の誤りを知覚し、それを受け入れるなら、あなた自身の誤りを受け入れていることになる。あなたが自分の誤りを聖霊に預けてしまいたいのなら、兄弟の誤りについてもそうしなければならない。このやり方ですべての誤りを扱うようにならない限り、あなたはすべての誤りがどのようにして取り消されるのかを理解できない。
When a brother behave insanely, you can heal him only by perceiving the sanity in him. If you perceive his errors and accept them, you are accepting yours. If you want to give yours over to the Holy Spirit, you must do this with his. Unless this becomes the one way in which you handle all errors, you cannot understand how all errors are undone.


あなたは自分自身でさえ訂正できない。そのあなたに、他者を訂正することが可能だろうか。だが、あなたは自分自身を真に見ることができるので、兄弟をも真に見ることができる。あなたに任されているのは、兄弟を変えることではなく、彼をありのままに受け入れることである。彼の誤りは彼の中にある真理から生じてはいない。そして、この真理のみがあなたのものである。彼の誤りはこのことを変えることもできなければ、あなたの中にある真理にいかなる影響を与えることもできない。


あなたの誤りがあなたに属するものではないのと同じように、あなたの兄弟の誤りも彼に属するものではない。彼の誤りを実在のものとして受け入れるなら、あなたは自分自身を攻撃したのである。あなたの道を見出し、それを保ちたいのなら、自分の傍らに真理だけを見ていなさい。あなたと真理は一緒に歩いているからである。

あなたの中の聖霊は、あなたと兄弟の中にあるすべてを赦す。兄弟の誤りはあなたの誤りと一緒に赦される。愛が分離していないのと同じように、贖罪も分離してはいない。愛から生じている贖罪に、分離はあり得ない。兄弟を正そうというあなたの試みはいずれも、あなたが自分で訂正するということが可能だと信じていることを意味する。これは自我の傲慢でしかない。訂正とは、傲慢を知らない神からのものである。
The Holy Spirit in you forgives all things in you and in your brother. His errors are forgiven with yours. Atonement is no more separate than love. Atonement cannot be separate because it comes from love. Any attempt you make to correct a brother means that you believe correction by you is possible, and this can only be the arrogance of the ego. Correction is of God, Who does not know of arrogance.


神が一切を創造したので、聖霊は一切を赦す。聖霊の機能をあなたが引き受けてはならない。そのようなことをすれば、あなたは自分の機能を忘れてしまう。時間の中では癒しの機能だけを受け入れなさい。なぜなら、それが時間の用途だからである。神は永遠の中で創造するという機能をあなたに与えた。あなたがそれを学ぶ必要はないが、それを望むことを学ぶ必要はある。そのために、すべての学びが作り出された。これが、あなたが必要としていないのに自分で作り出した能力を、聖霊が活用する方法である。それを聖霊に預けなさい!あなたはその使い方を理解していない。聖霊は、あなたが一切を咎めずに見ることを学ぶことによって自分自身を咎めずに見る方法を、あなたに教えてくれる。そうすれば、咎めはあなたにとって実在しなくなり、あなたのすべての誤りは赦されるだろう。
The Holy Spirit forgives everything because God created everything. Do not undertake His function, or you will forget yours. Accept only the function of healing in time, because that is what time is for. God gave you the function to create in eternity. You do not need to learn that, but you do need to learn to want it. For that all learning was made. This is the Holy Spirit’s use of an ability that you do not need, but that you made. Give it to Him! You do not understand how to use it. He will teach you how to see yourself without condemnation, by learning how to look on everything without it. Condemnation will then not be real to you, and all your errors will be forgiven.