
1241年、ザグレブのアッパー・タウン
Gradec地区の周りに防御壁が造られました。
蒙古の襲来に備えるためです。
町に入るための門が東側と南西側に作られました。
現在残っているのが東側の石の門です。
16世紀には、オスマン・トルコの脅威から町を守るために、
修理拡張されています。
1645年、1674年、1706年、1731年と、
町は戦火によって焼かれました。
石の門も何度か被災しました。
1731年の大火のとき、
石の門の上の階に住んでいたModlar夫人とその隣人は、
火事の後、灰のなかから聖母子が描かれた絵を見つけました。
作者や制作年代は不明ですが、16世紀から17世紀に、
この地方の画家によって描かれたものであると考えられています。
発見されたとき、額は焼けていましたが、
絵はダメージを受けていませんでした。
建物の木造部分のほとんどが焼失していたなかで、
この絵だけが無傷で残っていたというのは信じがたいことでした。
Modlar夫人は、この絵のために石の門の下に祭壇を作りました。
祭壇は公開されていて、
1778年にバロック風の鉄の柵が作られるまでは、
絵に触れることもできたそうです。
石の門は1760年に改修され、屋根は瓦で覆われました。
1991年には、司教によって、
この聖母は、ザグレブとクロアチアの守護者である、
と宣言されました。
1931年の200周年のとき、
聖母とキリストの頭上に王冠が付け加えられています。

僕がクロアチアに行ったのは、2003年の秋でした。
ザグレブの石の門については、
ほとんど予備知識を持っていなかったのですが、
一番印象に残っています。
若い男性が、聖母子の絵の前で熱心に祈っていました。
門ですから、道が通っていて、人が行き交っているのですが、
一人の女性が祭壇の前を通り過ぎるとき、
十字を切って行きました。
とても祭壇に近寄って写真を撮れるような雰囲気ではなかったので、
聖母子の絵の画像はネットで見つけたものです。
