慰安婦の真実17 なぜ文玉珠は慰安婦になったのか | 弥生の空 -日本の真実-

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前回(こちら)、元慰安婦・文玉珠の不幸な生い立ちについて紹介しました。
今回は、なぜ妓生の文玉珠が慰安婦になったのかを紹介したいと思います。

書籍からの抜粋です。


文玉珠さんは「食堂の仕事」の募集広告で指定された釜山の旅館に複数の顔見知りがいて驚いたり、娘たちを引率するのが顔見知りの朝鮮人の「マツモト」だったり、また「60歳をすぎた朝鮮人の男と、その甥がいた」などと語っていることから、この業者たちは朝鮮人だったことがわかります。
1942年7月10日、釜山港から南へ行く岸壁には、娘が150人から200人くらい集まっていたとのことです。


・水間政憲『ひと目でわかる「慰安婦問題」の真実』Kindle
No.1164/2220



元慰安婦・文玉珠は、「食堂の仕事」に対して不穏な空気を感じていることが分かります。

この理由は次のとおりです。


文玉珠さんは、募集広告に応募したときから「慰安婦」と薄々わかっていたようです。
それは、普通に「食堂」の募集広告と信じていたのなら母親に行き先も仕事も隠す必要がなかったにもかかわらず、
「母にさよならもいわずに出てきたことは間違いだったのではないかと思い、涙がはらはら落ちた」
『文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』
(構成と解説・森川万智子:1996年2月1日、梨の木舎)
と語っているからです。
仕事の内容を察知して応募したからこそ、家で同然のように出てきたのです。


・水間政憲『ひと目でわかる「慰安婦問題」の真実』Kindle No.1172/2220


文玉珠さんたちは、現地で朝鮮人兵士から、

「だまされてきたんだなあ、かわいそうに。
おまえたちは間違ったよ、ここはピー屋(慰安所)なんだ」
『文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』
(構成と解説・森川万智子:1996年2月1日、梨の木舎)
と告げられました。

文玉珠さんは、騙されたとわかったときの娘たちの様子を
「娘たちは天地がひっくりかえるほど行天した。ピー屋が何をするところか、知らない娘もたくさんいる」
『文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』
(構成と解説・森川万智子:1996年2月1日、梨の木舎)
と語っており、これを強制連行とするなら朝鮮人の犯罪です。


・水間政憲『ひと目でわかる「慰安婦問題」の真実』Kindle No.1172/2220


ここまで読むともうお分かりだと思いますが・・・
このケースでは、文玉珠を含む150人以上の朝鮮人は

「朝鮮人の女衒に騙されて慰安婦にされたのです。」

日本に対して慰安婦の強制性を認めろ!と韓国がうるさいのは、こういった事情を掴んでいるからに他なりません。
朝鮮人の女衒に強制性があるとバレれば、日本に対して謝罪だの賠償だのといった言いがかりが不可能になるからです

日本の外務省が、日本軍による慰安婦の強制性の資料を発見することができなかったのは、朝鮮人の女衒の実情を把握できていなかった事にあります。

この150人を超える朝鮮人のうち、あきらめて慰安婦になった者がどれだけいるのか、拒否して帰郷できた者がどれだけいるのかは分かりません。

朝鮮人の女衒が招いた悲劇ですが、これは文玉珠の証言です。
しかし、補償金を獲得する目的があるのに、わざわざ自分に不利な証言をするでしょうか。
この証言にはかなりの信憑性があると言っていいでしょう。
韓国の挺身隊研究会でも、証言はある程度認められた元慰安婦でもあります。

朝鮮人の女衒が慰安婦に深く関わってることは韓国でも調査されています。
また、スクープを狙おうと韓国の記者が慰安婦の強制性を探ろうとして朝鮮人の女衒の存在に気づき、取材をやめたこともあまり知られていません。

韓国がこのような悪質な朝鮮人の女衒を公表する日がいつ来るのか、誰も予測できないでしょう。

遠い遠い未来になりそうですから。