人でなしだった筑紫哲也 | 弥生の空 -日本の真実-

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最終的には私の子供の近現代史教科書になることを目指してます。


書籍からの抜粋です。

筑紫哲也の『週刊金曜日』。
この雑誌は記者が北朝鮮入りして曽我ひとみさんと離れ離れになったジェンキンス氏と2人の娘をインタビューし、2002年11月号でそれを記事にしていた。
これは残酷だった。
 (中略)
曽我さんは蓮池、地村夫妻と違ってたった1人、夫も子供も、そして母も北に残している。

日本へとどまる決意は本当に悲壮なものだったと思う。

『週刊金曜日』はその曽我さんを標的にした。

平壌で書かれた記事には母に会いたいという2人の娘の声が執拗に繰り返されていた。

こんなのを読まされればせっかくの意思もぐらつきかねない。
傍目にもそう思えた。

これでは北朝鮮のお先棒を担いでいるようなものではないか、という批判が出る。

それに筑紫はすぐ反論した。

「伝える努力行為は自殺行為」(2002年12月8日)と題した『朝日新聞』への寄稿がそれだ。

「政府が永住帰国を決定し、世論も一致団結して日朝交渉に臨むとき、この記事は利敵行為という批判がある」。
でも(せっかく入手した情報を)抑え込むのでは「戦時中の大政翼賛会と同じ。
反対意見を封殺するものだ」。
 (中略)
たった1人の曽我さんの孤独は思いやって余りあるものだが、それを彼女は「家族に会いたくて何もかも捨てて北朝鮮に帰ってしまおうかと」何度も思ったと語った。

身を裂く思い。

そこに塩水に溶いた芥子をなすりこむ仕打ちをし、彼女があわや「何もかも捨てて」る気分にさせたのが筑紫の『週刊金曜日』であり、『朝日』の「記事にしない」事件や住所公表だったことは間違いない。

それを報じた朝日新聞は、彼女が「大したことではないですが」と前置きしたように書いている。

それは「こうやって家族が揃い佐渡に来られた今となっては」大した問題ではなくなったが、という意味だ。

自分のしでかした罪の重さを知り、それをこんなところでこっそり矮小化する。

ジャーナリズムとは思えない卑劣さだ。

そしてその夜の『ニュース23』。

彼は自分がすり込んだ芥子の効き目を確認しながら、ごめんなさいでもなかった。

こういうのを人でなしという。

引用元:高山正之『歪曲報道 巨大メディアの「騙しの手口」』Kindle No.449~476

 
▲「人でなし」筑紫哲也


筑紫哲也のNEWS23の『多事総論』。

覚えている方も多いのではないでしょうか。

ただでさえ演出が気持ち悪かったのに、筑紫が語る内容も自己陶酔した単なる左派の意見に過ぎないじゃないかと思った記憶があります。

元は朝日新聞記者ですから、偏向報道は得意だったでしょうね。

ここまで人間が腐っているとは思いませんでしたが。


報道の自由は憲法第21条で保障されたものではありますが、誤った報道・悪意のある報道に対する明確な罰則はありません。

もし可能であれば、朝日新聞には特別に国家侮辱罪を適用して解散命令を出したいところです。

そして曽我さんのように筆舌に尽くしがたい思いをされた方にも、偏向マスコミや良識の欠片も無い人でなしジャーナリストが襲いかかりました。

このような人でなしジャーナリストや偏向新聞から身を守る術を持たない一般人の我々は、普通に良識のあるマスコミの登場を待つしかないのです。

死者に鞭打つなという声もあるでしょうが、曽我さんに謝罪もしなかった人でなしの批判は今後も続けていきます。
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