比較的に何でもテキパキと熟す私ですが、どうしても前もって調べて行っても、失敗することがあります。
それは、悲しいほど道に迷うのです
車で行っても、何となく通った道だから知っているという程度では、たどり着くのに時間がかかります。
その周辺に来ていても、駐車場に入るまで時間がかかるとか、極端に何故?と思うのは、3度ほど通わないと、同じ道で帰れることはないんです。
ナビがあっても迷うこともあり、そんな私が単独で出かけるのは、自分の中に彷徨い途方に暮れる時間を含めての計算は、もう当たり前として入れます。
それが嫌だからと言って出かけないのは勿体ない。
もう病的なまでにたどり着けない自分は、それなりの覚悟で間違いなど当たり前として受け入れています。
東京から、研修先の目的地へは新宿までは難なく行けたのですが、その後一度乗れば良い電車に4度乗っています。
帰りも、新宿から東京駅まで1度で行けるところを2度乗り換えています
だからそんな私は、他人に声をかけて聞くことなど躊躇いもないんです。携帯を見ても、場所を探すとか、自分の位置というものが、ほとんど理解し難いんです。それに格闘し理解する時間より、そのへんの地元らしき人を見つけて聞く方がたいてい早いんです。
でもね、東京の人って田舎とは違う〜
田舎じゃあ、たいていそのへんの人に聞けば知ってて教えてくれるんだけど、東京の人は、自分の往来する電車とか場所は分かってても、ほかはほぼ知らないのかもしれません。
5、6人に道を訪ねましたけど、不親切とは違うんです。本当に知らないか、自分もまだ迷っているとか、「なんとなくそこかな」なんです。
だいたい自分が病的なまでに道が覚えられず、迷うのかについてはなんとなく分かってきました。
適当に覚えて、勝手に近道探って迷い込み、元来の「どうにかなるだろう」で楽観的。
大人になっても道草がやめられない体質なんでしょうね。興味あったり、勝手に近道探しては迷い込むなんて、子供からその根性は変わらないんですよ。
ほぼ、その道に迷うことさえ今は想定内の遊びにしてしまって、焦りとか恐怖とか困るとか無いんです。
気がつけば反対方向なんてしょっちゅうなんですから、ハッとはしますけど「またやっちまったのか」くらいの諦めです。
時々くたくたになって道を探す時、そんな自分が自分に呆れ見放したくなる時ありますけど、「あ~、また私が始まった」と思うことにしています