自分のモビルスーツの気持ちに気付く方法。
それは、いわゆる五感(第六感も含む)という感覚機能を研ぎ澄ますってことなんですけど。
私は、人間には更にもう一つの大きな感覚があると思っているんです。
それは、「言覚」(言葉を発した時に生じる感覚)です。
(※私の造語です。「喋覚(ちょうかく)」でもいいのですが、「聴覚」と区別するため便宜上)
人間の感覚は細かく分類すれば、20種類ぐらいあるようですが、一般的に大きな分類として、「視覚」「聴覚」「触覚」「味覚」「嗅覚」を五感、「インスピレーション、勘、直感、霊感」をひっくるめて「第六感」と認識されています。
意図せずに感じる第六感を含め、見る、聞く、触る、食べる、嗅ぐ、などの行為によって感じた心や体の反応は、すべてモビルスーツの反応です。
- 好きなのか、嫌いなのか
- キュンとするのか、ざわざわするのか
- 心地よいのか、不快に感じるのか
- 気分良くなるのか、気分を害するのか
- 癒されるのか、落ち着かないのか
- 必要なのか、不要なのか
- 嬉しいのか、悲しいのか
- 喜んでいるのか、憂鬱になるのか
- 得意なのか、苦手なのか
- 幸せを感じるのか、辛くなるのか
- 安心するか、不安になるか
- 向いてるのか、不向きなのか
それが、「操縦者とモビルスーツ」の初歩的コミュニケーションなので、ちゃんと向き合ってみて下さい。
意識してみると、意外とモビルスーツの意見を無視してるところがあったりします。
"美味しい"と感じないのに、健康のために無理して食べてるもの、ありませんか?
"美味しい"のに、太るから食べないようにしているもの、ありませんか?
どんなに好きな食べ物でも、ある程度まで食べると、"美味しい"と感じられなくなるラインがあります。そのサインを無視して「残すのは失礼だから」と無理して食べていることありませんか?
本を読んでいる時、音楽を聴いている時、あるフレーズで、「ドキッ」としたり、「うっ」となったり、「じぃん」としたり、「じわっ」となったり、時には頭を殴られたように「ガツン」とくる時や、目眩のように「ぐらっ」とする時ありませんか?
その反応を素通りせず、ちょっと掘り下げて考えてみて下さい。
それらは、モビルスーツのアピールだったりするのです。
私の場合、村上春樹さんの著書でそのような現象になることが多いです。自分の心の内を、適切な言葉で的確に表現されると、モビルスーツはとても敏感に反応するのです。
自分でも予測できる範囲での反応は「共鳴」なのですが、ここで重要なのは、流れ弾に撃たれたような、不意を突かれるような形で、「自分でも思いもしなかったフレーズに反応した時」なのです。
音楽で説明するなら、私の場合、浜崎あゆみさんのデビュー当初の曲、「A song for XX」のこのフレーズでしょうか。
A Song for ×× 3,146円Amazon「居場所がなかった みつからなかった」
現在の私には、ちゃんとした「居場所」があるし、「居場所がない」なんて普段は考えもしていないこと。
それにも関わらず、一気にぐわんと世界が揺さぶられて、心の中の何かがぐわっと込み上げてきて溢れ出しそうになるのです。
小さい頃に感じた、孤独感、不安、絶望感、それらは誰にも理解されないまま、蓋をして鍵をかけて閉じ込めて、今も心の奥底に仕舞い込んである状態で、その時の気持ちは、まだ昇華されずに、私の中でインナーチャイルドとして根強く残っているのです。
大人になった操縦者は、意識せずに普通に生活しているけれど、モビルスーツのインナーチャイルドは、まだずっと不安で泣き続けているし、それはまだ昇華されずにいて、大人になった操縦者に、合図を送っているのです。
そう。私は今も尚、再び「居場所のない自分」「孤独な自分」「必要とされない自分」になることをとっても恐れているのです。
実際、今、主人が居なくなったら、仕事も子供も持たない私には居場所がありませんし、頼る場所もありません。実家は私の帰れる場所ではありませんし、そういった身内や親友もおりませんから。
それは、ずっとずっと、私が恐れている状況なのです。
だから、反応する。
思えば10年前、私が鬱病になってしまったのも、この恐れが原因だったのです。
3度の流産を繰り返し、不育症と診断され、子どもを生んで育てるという人生を諦めたこと、10年勤めた会社で必要とされなくなってしまったこと、自分の唯一の理解者であった親友に縁を切られてしまったこと、主人との結婚生活がうまくいかなくなり離婚を考えていたこと、それでも絶対に実家を頼れなかったこと。
母親という居場所、仕事上での居場所、親友という居場所、夫婦という居場所、娘という居場所、全てが無くなってしまったら、もう私には生きる価値も、存在価値すらないのではないかと、そう思い絶望してしまったのです。
ここで、「言覚」の登場です。
黙読するのはただの「視覚」なので、口に出さないと意味がありません。
思いつく限りのことを書き出して、口に出して言ってみるのです。
つっかえる感じ、引っかかる感じ、口に出せない感じ、を探ってみます。
「私の居場所はある」
「私の居場所はあった」
「私の居場所はなくならない」
「私は居場所を失わない」
「私には居場所がある」
「私の居場所だってある」
「私の居場所が欲しい」
「私はこの場所にいてもいい」★
「私はあの場所にいてもいい」★
「私はどこにいても大丈夫」
「私は居場所が欲しかった」
「居場所は私が作る」
「これからもずっと居場所はある」
「もし私に居場所がなかったとしても、私の存在価値はある」
「もし私の居場所がなくなったとしても、生きる価値が私にはある」
「この居場所がなくなってもいい」
現在形、過去形、未来形、ポジティブ、ネガティブ、"てにをは"を変えるだけで、ニュアンスや印象が大きく変わってくることもあります。
★印をつけた言葉が、私のモビルスーツが反応した言葉です。
「私がここにいるのは相応しくない」
私は、どの場所にいてもその前提で、不安だった時代を過ごしてきたことに改めて気付きます。だから、頑張っても頑張っても、どんどん上手くいかなくなっていったのだろうし、「私がここにいるのは相応しくない」と私がそう思えば思うほど、「ほら、やっぱり」という結果に辿り着いてしまうのだと思うのです。
操縦者が勝手に作り出した「前提」や「決めつけ」に気付くことが大事です。
「孤独で辛かったね」
「ひとりで寂しかったね」
「不安でいっぱいだったね」
「頼れる人がいなくてしんどかったね」
「もう心配はいらないよ」
「今の私は、いろんな選択ができるのだから」
「今の私は、どこにだって行ける」
「今の私は、なんでもできる」
「私には、あなたが必要」★
★印で、じわっとくる感じ。そう。これがモビルスーツの「私も」っていう同調。
「私(操縦者)には、あなた(モビルスーツ)が必要なんだ」
今も、昔も、これからも、ずっと。
だから、大丈夫。




