二十歳過ぎから木彫を生業にしてきた。その私が三十歳ごろの話である。
住んでいた市から短期の講座を頼まれ、その日は生徒さんが彫り上げた作品に着色をする手はずになっていた。数日前から幾種類かの水性、油性、および粉の塗料を準備して、それ等を新聞紙で一つに包んでおいた。
授業が始まった。それぞれの塗料について、私が実際に木切れに試し塗りをして、その色合いと感触を知ってほしいと思った。そこで、十人余りいた生徒さんに周りに集まってもらう。
「木彫りは彫り半分、仕上げ半分などと申します。着色は大変だいじな作業です。皆さん、よくお勉強しましょうね」
もったいをつけた御託を並べてから、やおら新聞包みを開けた。
目が点になるー。
生徒さんたちも固まってしまった。
中から出てきたのは、たくさんの数の総入れ歯だったのだ。
「せんせえ―。これ、なにィ!?」
ややあって、生徒さんの一人が出した大声で教室中が大爆笑になってしまった。
この入れ歯は二か月前に亡くなった母方の祖母の妹のものだ。大叔母は若いころ歌麿の美人画のようだと言われ、自前芸者を張っていた。自前芸者というのは置屋を通さない自営業者のようなものだ。それだけ人気と実力があっのだろう。
大叔母の左頬には、カミソリで切られた三センチほどの傷跡があり、母からいわれについて聴いたことがある。母は娘時代、自身の祖母とこの大叔母、三世代三人の女だけで暮らした時期があった。ある時、大叔母が近所のかみさん持ちの男と懇ろになり、その男が何日も母たちの家に居続けたらしい。
とうとう男のかみさんが乗り込んで来た。
「十人並み以上の器量して、なにもひとの亭主、盗ることないやないか!」
大きな声に続いて、「ギャーッ!」という悲鳴が聞こえたという。
それも昔の話で、七十歳で亡くなった当時は小さな会社の清掃員として働き、つましく暮らしていた。老いの独り身の愚痴など一切言わず、達観したようにさばさばとしていた。
母を含めて五人いた甥姪たちは、大叔母に長患いでもされたらと、戦々恐々としていたようだが、脳出血であっけなく亡くなった。
遺したものの中から弔いを出し、年忌法要の金を除けておいても、なお且つ一人、十五万円ほどのものを手にしたというから、まことにあっぱれな幕の引き方だったではないか。
満中陰もすみ、故人が住んでいた借家を引き払い、使っていた物をわが家へ運び込んだ。大叔母は昔は立派な調度品を備え、値打ち物の三味線を弾いていたらしいが、そんなものは何もない。
粗末な家具の中に仏壇があった。わが家には一基あるし、人さまに貰っていただけるような代物ではない。焼却処分をすることにする。
お性根とやらを抜いてもらい、ある日の夕まぐれ、鉈で叩き割った。その引き出しの中から、あの総入れ歯が出てきたのである。
上下五、六組はあったろうか。数の多さに唖然となった。大叔母は「入れ歯の蒐集」が趣味だったのか。そんなことはあるまい。
そう言えば、大叔母が義歯をガタガタいわせていた記憶はない。少しでも合わなくなれば、すぐに新しいのを作ったのだろう。逼塞しても、
「入れ歯だけは、いつもぴったりしたものをはめていたい」
それが自前芸者を張った女の最後の意地だったのか。
いずれにしろあまり気色のいい話ではない。後で処分するつもりで、ひとまず新聞紙に包んで除けておいた。これをどこでどう間違えたのか、教室へ持って行ってしまったのだ。
後はこの話で持ち切りになり、その日は授業にならなかった。しかし、初めは笑っていた生徒さんたちも、私が語って聴かせた大叔母の人生に想いをはせてくれたのか、次第にしんみりとなった。