海外生活が長かった友人の話では、フランスには犬の糞を拾って回る業者がいるのです。
「彼らの仕事を奪ってはいけない」と飼い主たちも一切、始末をしないそうです。
「♪枯れ葉よ……などとロマンチックな気分に浸っていても、下に何があるかわかったものじゃない」。友人は笑いました。
また北欧の国では、糞を始末する袋の自動販売機が並んでいるとのことです。
ここからは日本の話になります。
私は近所の公園をしばしば散歩します。
〈犬の糞は飼い主が始末しましょう〉
公園の中にはこんな立て札があります。外周を一回りするのに一時間近くもかかる広い公園です。だが、一度も糞が捨て置かれているのを見たことがありません。犬を連れている人はみな始末する袋を携帯しています。日本人の公衆道徳も向上したものだ、と嬉しく思っています。 だが、一般道路ではまだ徹底していないようで、公園への行き帰りには、それらしき物を時には目にします。
また朝、わが家の門扉を開けると、こともあろうに大型犬が立ち寄ったらしき「アノ痕跡」があり、暗澹たる気持ちになることも年に数回はあるのです。
こんな不逞の輩(むろん犬ではなく、飼い主のことです)のためにとんだ迷惑をこうむったことがあります。
十年ほど前。わが家にも老犬が一匹おりました。ある時、散歩中に空地へ入り込み、辺りをくんくん嗅いで動きを止めたのです。私も立ち止まり、ぼんやり考え事をしていました……。
急に犬に引っぱられて、よたよた動いた途端、怒鳴られたのです。
「ちょっと、あんた。それ、ほっていくつもり!」
〞鬼の顔〟をした五十歳ぐらいのおばさんが、二階の窓から身を乗り出しているのです。
きょとんとしている私に、おばさんはなおもわが愛犬の足元を指さします。
「それや、それやがな!」
確かに枯葉の上には生々しい犬の糞があります。だが、これは濡れ衣です。うちの犬ならその行為の前に必ずするぐるぐる回りも、後の砂かけの儀式もなかったのです。だが気の弱い私は、とっさに上手く弁解できなくて、「いやあ……こいつと、ちゃいますねん……」。そそくさと逃げ出しました。
まったく迷惑な話です。しかし、「李下の冠瓜田の履」とも申しますから、私にも慎重さが足りなかったと、以後、愛犬の脱糞場所には細心の注意を払うようになりました。
その数年後、通っていたスイミング・クラブで泳ぎ終わり、ロビーの自動販売機の前ジュースを飲んでいた時のことです。
一人の若者が座っている前のテーブルが漫画本で散らかっていました。そこへ私も顔なじみのアメリカ人のおじさんがやって来て、「キタナーイ」と片付け出しました。「僕がやったんじゃない」と弁解する若者におじさんは続けます。
「ミテイテ、カタヅケナイハ、ジブンガヤッタノト、オナージ」
私はあのおばさんに叱られた三年前の「濡れ衣事件」のことを思い出しました。「自分の飼い犬の糞ではない」と拾わなかったのは、あまりにも狭量だったのではないでしょうか。
おばさんもしばしば自宅の横に糞をほって置かれるので、頭にきてたのでしょう。事情を説明した上で、にっこり微笑って始末をしたら、おばさんの心も和み、私もほのぼのとした気分になれたに違いありません。私は思いました。
「これからは、『他の犬の糞でも、落ちてたら必ず拾うぞ』。そう固く誓って自分の犬を散歩させよう」
だが、肝心の愛犬が間もなくに死んでしまいました。