地車のとどろと響く牡丹かな 蕪村
半世紀以上も前になりましょうか。
この詩人をこよなく愛した父が、その肖像を彫りながら高校生の私に教えてくれた一句です。その時に父が付け加えた言葉がずっと心に残りました。
「この地車は祇園祭りの山鉾のことやけど、その頃に牡丹は咲いてないのに、どういうことやろね」
父は平成三年の夏に八十一歳で亡くなりました。それから間もなく私は古本屋で萩原朔太郎著『郷愁の詩人・与謝蕪村』を見つけました。朔太郎はくだんの句について、「夏の炎熱の沈黙(しじま)の中で、地球の廻転する時劫(じごう)の音を、牡丹の幻覚から聞いているのである」と述べています。地車を地球だとする詩人らしい独創的で面白い解釈ですが、やはり一般的なコンセンサスを得るには無理があるのではないでしょうか。それに江戸のあの頃に、蕪村がそれほどに観念的で難解な句を作ったとは思えないですよね。
数年後に、友人が新刊の分厚い蕪村句集を貸してくれました。ここでは地車の句についてq次のように解説されています。「地車とは、引っ越しの際に重たい家具の類などを運ぶ頑丈な運搬車、大八車のことである。がらがらと豪快に大八車を引き回してくると、そこに花の王たる牡丹が咲いていて……」
ああ、そうなのか。地車は大八車のことだったのか、と納得しかかりましたが、すぐに疑問が湧いてきました。大八車と牡丹の取り合わせは、どうも無粋で蕪村らしくないと思うのです。また、大八車を引く音も「とどろ」という語感にはそぐわないと思われませんか。その点、雅な祇園祭りと牡丹の組み合わせは蕪村にぴったりですし、また、とどろという響きもその情景を言い得ている気がするのです。だが、その季節に牡丹が咲いていないという事実はどうしようもありません。私の疑問は解けないままでした。
また四、五年がたちました。昼寝から覚めると、点けっぱなしでいたテレビで西陣織の番組をやっています。
「京都の祇園祭りの山鉾を飾っているケ××××には、室町時代から西陣織が使われております」
ナレーションに続き、種々の図柄見本が映し出されています。その中に牡丹があったわけではないのですが、私はとっさに、地車の句に出てくるのはこれではないか、と閃きました。
さっそく104番で問い合わせた〈西陣織工業組合〉と〈西陣織会館〉なる所で尋ねてみました。だが、どちらも若い女性の応対が意外にも要領を得ず、ケ××××の正確な名称すら知り得ません。京都市役所の観光課へも問い合わせたが無駄でした。
断念しようかとも思いましたが、ダメもとで京都に住んでいる仏師の友人に電話をかけました。
「えーと、化粧回しは相撲取りやし……あれは、なんちゅうんかいなあ……」
彼もはなはだ頼りないのですが、最後にこんなことを言ってくれました。
「確かに山鉾には牡丹の柄があるで。『祇園祭り保存協会』いうのがあるさかい、訊いてみい」
正式には〈祇園祭り山鉾連合会〉だったのですが、即座に「山鉾を飾っているのはケソウヒンと言います」と教えてくれました。懸装品と書くそうです。続いて「少しお待ちください」と何かの資料をペラペラ捲くる音がして、「あります、あります。西陣の唐織の中に牡丹があります」と言うではありませんか。
丁重に礼を言って電話を切った後、私は急いで「唐織」を辞書で引きました。「女役用の能衣装にも用いられる多彩で美しい絹織物のこと」らしいです。
牡丹を織り込んだ豪華絢爛たる懸装品で飾られた祇園祭りの山鉾が、京の町を〝とどろ″と巡行していくのです。 これぞ蕪村の世界でしょう。
私のこの推理は恐らく間違ってはいないと思います。できることなら父の存命中に報告をしたかったです。父は大いに喜び、これを肴に二人で一献傾けることができたでしょうに。