父と膝つき合わせて仕事をしている。私は彫り上がった人形に色を塗り、父は組んだ膝の上で、35㌢ほどの不動明王を粗彫りりしている。握った柄をリズミカルに木槌で叩いていく。が、音がまったく聞こえてこないのだ。それに父の周囲だけが透明の膜に覆われていて、無声映画を見ているようだ。
「お茶、入ったで」。襖が開いて母が顔を出した。盆の上には一人分の茶菓しか載っていない。父の方をちらっと見て、「お父ちゃん、また来てんのかいな」と言う母に、「あんた、もう死んでまんねんで、親父にそんなん言うたらあかんで」と注意する。母がうん、うんと頷いたところで夢が覚めた。
父は平成三年の夏に八十一歳で亡くなった。直後から“父が生前と変わらず私と一緒に仕事をしている。周りの者は父が亡くなったことを承知しているのに、本人だけが自分の死に気づいていない"。こんな奇妙な夢を繰り返し見るようになった。どういうことなのだろう。
生まれた時から愛しみ育ててくれ、深い因縁がある親の死は、誰にとっても受け入れがたいものだろう。特に私の場合は、師匠として何十年間、理論的、技術的に教えを請いながら絶えず横にいた。
死後も父が使っていた鑿(のみ)を始めいろんな道具を受け継いだ。また、彫ったものがその辺に転がってもいるから、まだ教えてもらっているような錯覚がある。だから人一倍、喪失感が強く、その死が納得できなかったのだろう。それが父自身が自分の死を知らずに現れるという、複雑で奇妙な夢になったのではなかろうか。
父の七回忌を迎える頃になり、ぱたっとこの夢を見なくなった。私の中で父が本当に亡くなるのには、それだけの時間が要ったということだろう。