こんばんは

リンパセラピストのエツコです



3月からブログを始めて
もうすぐ
1年になりますが



最初
集客の為に始めたブログでした
でも
そうじゃないと思ったのが
何だろ?
私は私が思う真実について
話したくなったのが
それ
だった
兄が2人の末っ子で生まれた私
3歳でいとこと一緒に
お菓子を買いに行って
トラックに跳ねられ
頭陥没
腎臓破裂
救急車で運ばれ
お母さんが駆けつけた時には
まだ意識があり
「もうお外行けへん!もうお外行けへん」
を繰り返し
意識を失い
お医者さんが
尿道に管を通した瞬間
医師の白衣が真っ赤に染まる程
出血をしたらしい
今では考えられないですが



そんな不衛生な



手の施し様が無いらしく
覚悟をして欲しい
と医師から言われた両親は
親戚の叔母がしてた天理教に
今からお願いしに行こ!
と言われ
家の有り金全部持って
奈良の天理にお参りに行ったそう
この往復の間にも
私は命を落としてるかもしれない
そんな思いで両親は帰ってきた
まだ生きてた私に
医師は油断しないで下さい!
いつ逝ってもおかしく無い
そんな中
私は手術も何もしないのに
尿の袋が真っ赤だったのが
いつの間にか透明になっていったそうです
昔
お母さんが書いてた日記を見つけて
何度も泣いた事があった
でもそれは
まだ子供だった頃
今母親になった自分が想像したら
想像出来ない
恐ろし過ぎて
想像すらしたくない
3歳だから
ほぼ覚えてないんだけど
首が痛くて動かせない
それだけは覚えてる
それと
パンダのぬいぐるみが欲しかったのに
与えて貰えなくて
グズってた記憶
奇跡的に助かった
病院内でも
私が元気にしてる姿を他の医師が見て
「あの子やで!助かった子供」
と言われる程の奇跡だったらしい
その後
定期的に脳波の検査を
何度も受けた記憶もあります
両親は跳ねられたトラックの方には
文句も言わず
保険で支払ってくれたお金を
近くにある身体障害施設に寄付をして
残ったお金でピアノを買ってくれた
頭を打ったから
おかしくなっても仕方が無い
3歳ですもんね
私が子供を授けて貰って
この話を想像すると
涙が止まりません
どんな思いで両親は居たんだろう?
今になってつくづく思う
どれだけ愛されて
大切に思われて
育ってきたのか!?
だから
私が!
子供が体調崩すことに
過剰に反応するんやて
まぁそのいざこざがあるのも
後々の話
この事故がある前の私の名前は
純子
でした!
その後名前を見て貰ったらしく
この名前は男を負かしてしまう程
強い名前だとか?
いや?
結局そうみたいやけど?
その後
英津子に改名したらしい
まだまだ続きますが



今日はこの辺で
