懐かしのエッセイ・・・ザ・デストロイヤー | 続プロシタン通信

続プロシタン通信

プロシタンとはプロレス史探訪のことです。

20世紀の末、一部で話題となりました「プロシタン通信」の続編をブログの形でお送りします。

 

いつプロレスを見はじめたかによって著しく異なった評価がなされているのではないかと思う。略歴を述べておこう。

 

54年代にデビューした。しばらくは本名のリチャード・ベイヤーをリングネームとし、ニューヨークバファロー地区で闘う。

 

62年「インテリジェント・センセイショナル・ザ・デストロイヤー」に変身。フレッド・ブラッシーを破り、WWA世界ヘビー級チャンピオンとなる。覆面レスラーで世界タイトルを取ったのは史上初とされた。63年初来日。「足4の字固め」をポピュラーなものにした。60年代半ばにはロスで、ボボ・ブラジル、ペドロ・モラレスとともに「正義の味方」トリオだった。

 

68年、短期間ではあるがバーン・ガニアを破ってAWA世界ヘビー級タイトルを奪取。このときは黒覆面のドクターXだった。

 

 

73年から79年まで全日本プロレスの一員として日本に定着した。本来のひょうきんなキャラクターを活かし、タレントとしても活躍する。特に、金曜10時の日本テレビ系「うわさのチャンネル」で大人気を得た。帰国後故郷で子供たちや高校生に体育を教えるかたわら年に数回来日。全日本プロレス7月のシリーズ参加は恒例であった。

 

93年夏、日本武道館で引退試合を行った。

 

 

私がはじめてデストロイヤーを見たのは69年の3月、日本プロレスに来たときであった。私なりに予備知識は仕入れていたので、初めての一流覆面レスラーの登場に心をワクワクさせた覚えがある。たしか、東京都体育館で馬場の持つ「インターナショナル選手権」(当時は「ヘビー級」をつけなかった。)に挑戦した。99年の馬場死去に

際してしばしば流された試合である。

 

篠原リングアナウンサーのコール「ェあーかーコーナーー、ぇにぃひゃくごじゅーパォーンドー、ザーッ・デェーッストーゥロイヤー」。鋭い視線のデストロイヤーは裸のまま腕を組み、黙っているだけだ。誰かがいっていた。「肉体がガウンである。」試合時間は60分3本勝負、レフェリーはユセフ・トルコだった。1本目、40分台で馬場がおそろしく早いスリーカウントで先制フォールし、そのまま時間切れで馬場が防衛した。試合終了後、馬場はフラフラで腰立たず、一方のデストロイヤーはピンピンで「試合終了のゴングが早いのではないか」と抗議する。セコンドについていたネルソン・ロイヤル、ポール・ジョーンズ、ジム・オズボーンら他の外人レスラーも入ってくる。

 

その時、リング内に駆け込み、馬場が立ち上げるのを手をそえて手伝ったのがアントニオ猪木だった。観客は馬場の防衛に安堵しつつも、戦いの余韻にとデストロイヤーの凄味に酔いしれている。

 

幼かった私に対しては「怖さ」というものを存分に味あわせてくれた。誰かが言った。

 

「勝者とは試合終了後、立っている方である」

 

全日本プロレス定着後印象深いのは、74年のアブドラ・ザ・ブッチャーとの抗争である。連日血で血を洗う闘いを繰り広げ、それが毎週放送されたことでブッチャーも全国区になった。東北巡業に出発する上野駅地平ホームでも乱闘を繰り広げ、普段はプロレスを見ない友人に「デストロイヤー対ブッチャー戦なら見る」と言わせた。先に述べたようにデストロイヤーはこの時期、テレビ番組「うわさのチャンネル」にレギュラー出演していた。この番組は、他に和田アキ子、せんだみつおも出演していたいわばバラエティーだ。古くからのファンにはデストロイヤーの凄味が大無しだ、と評判の悪いものであったが、私はそれなりに楽しんでいた。今日リングスからFMW、女子まで楽しんでしまうノリは当時からのものだったんだな。

 

それはさておき、この番組を見ていてとんでもない事実に気がついた。デストロイヤーが和田アキ子より背が低いのだ。たしか「公式発表」ではデストロイヤーの身長は180センチ以上のはずだし、和田アキ子の身長は175センチ前後のはず。当時は「和田アキ子は一応女だからハイヒールでも履いているんだろう」と思っていたが、その後「公式発表」の意味を知った。しかし重要なのは、リングで戦っているデストロイヤーは小さく見えなかった、ということなのだ。

 

71年のワールド・リーグ決勝戦の後の表彰式で、優勝した馬場を祝福していたザ・デストロイヤーに、「案外小さいんだな」と思ったことはあった。が、馬場や猪木と戦っていたころのデストロイヤーは小さく見えなかった。これって一流のプロの前提条件なんじゃないかと思う。

 

ルチャリブレ・スタイルが定着して日本のプロレスは「等身大」になってきたともいえるかと思うが、「インターナショナル選手権」に、「ヘビー級」という断り書きがなかった当時の適当さは「小さくても大きく見えればよい」という、「プロ」というものの根幹に係わる部分かと思う。

 

そういえばビデオでみた、ルー・テーズやレオ・ノメリーニと戦う力道山、馬場と戦

うブルーノ・サンマチノ、藤波と戦う長州力も小さく見えまない。よくしたもので、全日本プロレス定着後のデストロイヤーは等身大に見えてしまったんだから、見せる側の努力、見る側のイメージというのはやはり大きな要素を占めるのであろう。「小さな巨人」なんて言葉の必要のない、小さく見えないレスラーはもう出てこないのであろうか。

 

(1996年頃に書いたものです)