マフィアとプロレス・・・アル・カポネとディック・ザ・ブルーザー | 続プロシタン通信

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プロシタンとはプロレス史探訪のことです。

20世紀の末、一部で話題となりました「プロシタン通信」の続編をブログの形でお送りします。

 

(アル・カポネではなくディック・ザ・ブルーザーです)

 

 

「ローリング20」といわれる1920年代の10年間は、アメリカの最初の黄金時代でした。要因として大きいのは、当時はヨーロッパ戦争といわれた第一次世界大戦で戦勝国となったことです。イギリスやフランスも戦勝国なんですが、実際の戦闘で失ったものも多く、経済・社会は疲弊しました。ところが文字通り「対岸の火事」だったアメリカは、傷が浅く、しかもイギリス、フランスが生産力を落としていたため、様々な注文が殺到し、経済は活性化、ウハウハの20年代でした。プロレス界はこの好況の中で都市おける週1回の興行、それを司る興行会社の発足など、80年代あたりまでのシステムが確立していきます。

 

実は我が日本も同じように戦勝国で、同じように注文が殺到したのですが、大戦が終わるとバブルが崩壊します。そして関東大震災により、社会に混乱が生じていきます。バブル崩壊の後の震災は90年代と同じ構造です。結局、アメリカもバブル崩壊を起こします。それが29年10月末のの株価大暴落です。

 

そんな20年代に台頭したのはギャング特に、イタリア系米人アル・カポネですね。カポネは20年にはまだほんの小物でした。ところが「カポネ最良の年」と言われた27年の収入をみると、アルコールで6000万ドル、賭博で2500万ドル、売春及びそれに付随する事業で18万ドル、恐喝・横領で1000万ドルでした。アルコールが桁違いに多いですね。これは、禁酒法という「20世紀初の社会実験」のおかげです。ダメだと言われれば飲みたくなる。で、非社会的集団の資金源となる。下らない規制は下らない結果しかもたらさない、これ、真理だと思います。ちなみに、この時代に、サロンを経営し、ご法度の酒類を出していた中の一人に、40~60年代のシカゴの大プロモーターでNWA会長も勤めたフレッド・コーラーの父親がいます。

 

カポネがこれだけの利益を上げられたのは、政治家や警察、マスコミを買収していたからです。で、上がりが再び買収に使われる、という循環が生じました。もちろん、社会的にもキャッシュの循環がスムーズで、その好景気が酒や女に流れて行ったことが大きかったんでしょう。

 

50年代半ばからシカゴで売れていたレスラーにディック・ザ・ブルーザーがいます。あの風貌はギャングそのものですね。プロモーターのコーラーはブルーザーをヒールサイドに置いて、いかにもギャングの出入りのような試合をさせました。ところが58年暮、コーラーの下にいたオフィスボーイのジム・バーネットが独立し、オハイオ州シンシナチやミシガン州デトロイトで旗揚げします。当初は双方の興行を行き来していたブルーザーも結局はバーネットにつきます。

 

コーラーはニューヨークのトゥーツ・モント、ビンス・マクマホン・シニア(この2人はWWEの前身であるWWWFの設立者です)と提携します。ここでアメリカマットはコーラー系とバーネット系に色分けされました。コーラーはバディ・ロジャースの後ろ盾となり、また、NWA会長の座にもつきます。しかし63年1月、ロジャースがNWA王者を失うと、コーラーは半年も経たないうちにプロモーターとしての情熱を失います。そして、その夏から約1年、シカゴのプロレスは死にます。1万あったアンフィシアターの観衆は2000となりました。

 

そのシカゴを生き返らせたのは、翌64年5月、シ4年ぶりにカゴに戻ってきたブルーザーです。以前はヒールでした。今度はベビーフェイスです。観客は会場に戻ってきます。以後、シカゴでのブルーザー人気は20年続きます。

 

シカゴ市民はなぜブルーザーに声援を送ったのでしょうか。

 

ブルーザーがベビーフェイスとしてシカゴに戻った64年、アメリカがベトナム戦争に本格的に介入しました。多くのアメリカ市民が閉塞感を味わったのは事実です。その精神的な逃げ道となったのが20年代アメリカ黄金時代へのノスタルジーでしょう。

 

シカゴ市民がブルーザーの姿からギャングを連想したのは間違いないと思います。ならばかつてのシカゴ・ギャング、アル・カポネになぞらえたのでしょうか。だとすると、カポネは愛されるギャングだったことになりますが、それは違うと思います。ほんの少数の例外を除き、ギャングを愛する感覚をアメリカ人は持ちません。アメリカに森の石松はいないのです。シカゴ市民は、ギャングのようないでたちのブルーザーを見てカポネではなく、カポネが活躍した黄金の20年代を見ていたんだと思います。

 

全米的な閉塞感の中、シカゴ市民の心の救いだったのがブルーザーだった、推論ですが、これを私なりの結論として、本日は筆を置きます。