ティームマッチはタッグマッチのルーツである | 続プロシタン通信

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プロシタンとはプロレス史探訪のことです。

20世紀の末、一部で話題となりました「プロシタン通信」の続編をブログの形でお送りします。

 

1966年1月7日、セントルイス・キールオーデトリアムでのNWA世界ヘビー級選手権、王者ルー・テーズは挑戦者ジン・キニスキーに敗れ、王座から陥落しました。決まり手は「反則」。反則決着では王座は移動しない、これアメリカの選手権では常識のように思われますが、当時はまだ「曖昧」でした。その時の都合で適当にやっていたようです。 

 

この交代は、NWA内の人事でした。50を前にして「そろそろ楽にさせてくれよ」というテーズ。ならば後継をどうするか。資格は、北米、いやぜん世界の防衛の旅に出られること。フリッツ・フォン・エリック、ウイルバー・スナイダーなど候補に上がったようですが、プロモーターも兼ねる予定になったエリックはダラスを離れにくく(性格が悪かったという指摘もある)、スナイダーもインディアナポリスのオフィス側重鎮となっていたため(超ベビーフェイスのため王者としてのマッチメークに限界があったからという説もある)結局キニスキーが浮き上がったのです。 

 

NWAの総本山、セントルイスの熱戦譜面を見てみると、65年はエリックが前面に出ていますが、後半になるとキニスキーがフューチャーされます。ではその境目はどこだったのでしょうか。4月23日のタッグマッチ、エリック&ジョニー・バレンタイン対キニスキー&ディック・ザ・ブルーザー戦だったと私は見ます。この後、キニスキーの台頭が始まるのです。 

 

エリック&バレンタイン(2対1)キニスキー&ブルーザー 

 

1本目:○エリック(反則)ブルーザー 

 

2本目:○ブルーザー対バレンタイン 

 

3本目:○バレンタイン対ブルーザー 

 

この試合は、タッチなしルール、すなわち全員がリングインする、敵味方があるバトルロイヤルのような形で行われました。後に「テキサス・トルネード・マッチ」と呼ばれた形式です。 タッグマッチのルーツはティームマッチといって1935年に初めて行われました。ティームマッチはこの日のエリック&バレンタイン対キニスキー&ブルーザーと同様なルールです。タッチがある現在の形式が誕生したのは戦中です。