本日はダッチ・サベージ=ネルソン・ロイヤルの法則というものを考えてみます。確かに、サベージもロイヤルも、前座格ではない、地区によっては真打の扱いを受けるレスラーです。
74年春の3週間、ジャンボ鶴田は北米遠征でこの2人と当たっていますが、サベージ、ロイヤルに勝たせてもらえませんでした。
1974年3月23日【ポートランドOR】○ダッチ・サベージ対ジャンボ鶴田●
4月4日【グリーンズボロNC】△ジャンボ鶴田対ネルソン・ロイヤル△
初来日はサベージの方が早く、1967年初夏、日本プロレスでことで、ドン・レオ・ジョナサンと一緒でした。
ロイヤルはサベージに遅れること2年、69年春の日プロ、ザ・デストロイヤーやタッグパートナーのポール・ジョーンズと一緒でした。
2人は70年春の日プロワールドリーグ戦で一緒になりました。共に2度目の来日です。お互いの初来日で一緒になったジョナサンやジョーンズもいました。以後、2人は来日を重ねます。縁があるのでしょうねぇ。更に2度一緒になりました。
74年春に、全日本のエキサイトシリーズはディック・マードックがエースで、後半戦特別参加はジン・キニスキーです。
75年春の、全日本のエキサイトシリーズはボボ・ブラジルがエースで、後半戦特別参加はジャック・ブリスコとザ・ファンクスです。
さて、これは私の感じ方かもしれませんので、サベージ、ロイヤルファンの方はお許しください。
70年日プロワールドリーグ戦、74年全日本エキサイトシリーズ、75年全日本エキサイトシリーズ、どのシリーズも今ひとつ盛り上がりに欠けていたように思うのです。サベージ、ロイヤルのようなきちんとしたレスラーを同時に呼びながら、なぜシリーズが盛り上がらなかったのでしょうか。
70年には、世間の耳目が日本で初めて行われていた万国博覧会に集まっていて、全国津々浦々、使えるお金があったら大阪万博に行きたい、というような雰囲気でした。ワールドリーグは万博に食われた感もありました。
74年には、新日本が国際からストロング小林を引き抜き、プロレスファンの注目は3月19日(これはエキサイトシリーズ最終戦と同日)の猪木・小林戦に集まっていました。
75年の同時期の新日本情勢は、猪木とタイガー・ジェット・シンとの抗争が盛り上がり、またシリーズ後の猪木対大木のソウル決戦の話題もありました。
巡り合わせが悪かったのですね。いや、それだけでしょうか。何か、もっと深い理由が闇の中に隠れているように思うのです。確かに、サベージ、ロイヤル共、彼らがいると言う理由で積極的にチケットを買おうと言うレスラーではありませんでした。しかし、二人が揃うと、そしてアンダーカードに出ると他のスターの光を消してしまうような面があったのかなあ、なんて思ったりします。
いや、そんな難しい話ではなく、天麩羅と西瓜、鰻と梅干のように、サベージとロイヤルは悪い食い合わせんなのかもしれません。
皆様、どう思われますでしょうか。