アメリカ初の覆面レスラーはマスクト・マーベルではない | 続プロシタン通信

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20世紀の末、一部で話題となりました「プロシタン通信」の続編をブログの形でお送りします。

 

(初代マスクト・マーベル)

 

ジミー・エッソンがヘンリー・オーデマンにハンディキャップ戦で敗れた1週間後の1915年2月13日にもミネアポリス・ゲイタイシアターで興行が打たれています。すでにミネアポリスでは「定期興行」の萌芽が見られることになりますね。この日もオーデマンが登場し、前週と全く同じルールで、やはり30分逃げ切ってザ・ミステリーに勝利しました。 

 

ザ・ミステリーはこの4日後の17日、シカゴ・カジノシアターにマネージャーのエド・ホワイトとともに現れました。ホワイトはこの4年前のゴッチ対ハッケンシュミット戦のレフェリーです。ザ・ミステリーはファーマー・ビル・ホクフに3本勝負ストレート負けし、覆面を剥がされ正体ジョン・フレバーグを公表します。 

 

と、ここまで読まれて「ちょっと待てよ」と思いません? 史上初の覆面レスラーは1867年パリに登場した「某」(正体は、チボー・バウアー)です。「某」は当然フランス語で、英訳すると「マスクト・レスラー」らしいのですが、ではフランス語で何と称したのかわからないので「某」としました。和訳の固有名詞「仮面力士」と表現しても何ですしね。

 

まあ、それはいいとして、アメリカ初の覆面レスラーは1915年12月9日にニューヨークに出現した、マスクト・マーベル(正体モート・ヘンダーソン)とされていましたし、私もそう思っておりました。 しかしですよ!ザ・ミステリーが出現した2月13日は、12月9日より前じゃありませんか。ということはアメリカ初の覆面レスラーは、マスクト・マーベルではなく、ザ・ミステリーということになりますよね。 今後、さらなる新発見があるかもしれませんが、2月13日よりも前にザ・ミステリーの記録はありません。ということはザ・ミステリーこそがアメリカ初の覆面レスラーということになります。 

 

思い起こせば私が子供の頃、史上初の覆面レスラーはマスクト・マーベルでした。ところが、パリでの記録が発掘されて、マーベルは「史上初」から「アメリカ初」へと格下げされました。そして今回、「アメリカ初」の座からも陥落してしまったのです。 マーベルには、長年の「○○初」、お疲れ様でしたと申し上げたいと思います。