人それぞれに供養の仕方があって。

私はパパを供養してない。

お線香もあんまりあげない。お花は飾るけど、四十九日が過ぎた頃からお供え物もしてない。

飲みかけの缶コーヒーをパパの小さい遺影の隣に置いて、一緒に飲んだりはしてる。

供養しないことが供養笑い泣き

いつも一緒にいる。

パパが生きてる時と同じように暮らす。

思えば、パパと最期に電話で話して、その55分後には心肺停止になってて、病院のストレッチャーの上で動かないパパに再会して、そして、その6時間後には、私はふうたんの散歩をしてた。

警察署でお泊まり中のパパを迎えに行く前に、いつも通り、部屋の掃除も洗濯もした。

それから毎日、私のルーティンは、パパが生きてる時と同じ。

一日も寝込むことなく、一日中、泣き暮らすことなく、パパの知ってるママでいる。

時々、泣いて、時々、笑って、時々、怒って。

私が私でいることが、パパを永遠に生かすこと。

パパが愛してくれたママでいるから、パパも変わらず、そばにいてね照れ

ひまわりママに、そのうち戻るし爆笑