自分が見聞きし覚え
経験したことが
誰かにとって正しいとは
限らない。
自分にとって
タイミングよく
都合よく“経験”が
正しいことに思えても
花に必要なのは
陽の光か水か栄養か
そもそも土壌なのか。
人には弱さがある。
弱さに押しつぶされて
道を見失うこともある。
その道を進むうえで
“人”が作った“神”は
ある一定の部分では
万人にとって“共通”の
生きる“糧”となり得る。
それ以上でもそれ以下でもなく
過ぎたるは及ばざるがごとし。
多くの場合何事も“限度”がある。
自分の通ってきた道が正しいと
人に強要をもとめ“共感”した気になった者
自分を否定する勇気もなく
人を否定することで自分の見てきたモノコトに
執着する者
地球の中で生まれ
人其々に役割があり
今を思いつく限り生きる。
人が定めた“罪”を犯す者
それは共存の定義から反することから淘汰され
疎まれ憎まれるべき役割。
自然があり後に“破滅”があるのであれば
万物は生を受けたその日から罪を背負う
平等に。
やがて自然が破滅するその最期まで
誰にも気が付かない。
失って初めて知る過ち。
そんなことを予測して新しい未来に
命を投資する者もいない。
新しい明日に
今できることを
あてはめて
役割を全うし続け
生み出しては失っての繰り返しの中で
学んでは死に
死に学ぶ