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でも、今回あるきっかけで反省しましたので、掲載していなかったものをどんどん
載せていきます。一気に50回分くらい上げますので行間が詰まったままですが、
その点はご容赦ください。          2011年10月21日 黒崎




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2011年7月29日号
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「旅のものがたり」は、素直な好奇心で、先入観なく世界や日本のことを
楽しもうと始めた企画です。雑学や話のネタとしてお楽しみください。

題材は基本的にいい旅のツアーから選んでいますが、時々日本の話や旅と
は関係ない話も登場します。

それでは早速、今回のものがたりをご紹介しましょう。

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【第95回】

          「眠れる神像」


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人の世が始まるずっと前のことです。


いちばん偉い神様が土地をつくり、他の神様に分け与えました。


ところが日が暮れてから、もう1人神様がやってきました。


とても働き者の神様で、日中は熱心に働いていたために遅れたのでした。


偉い神様は新しく島をつくり、働き者の神様は喜んでその島の守り神となり
ました。




時は流れて人の世、ある街に、働き者の神様の像が横たわっていました。


足は海辺にありましたが、頭は街に達するほどでした。


何とも大きな像ですが、ずっと前からあったので人々は不思議にも思わず、
毎日眺めて暮らしていました。


ある時、子供が尋ねました。


「おじいちゃん。昔あの像は立っていたって本当?」

「本当じゃよ。わしのじいさんが子供の頃にはな。」


「どうして寝ちゃったの?」

「地震があってな、足がポッキリ折れてしまったのじゃ。」


「直してあげないの?」

「いろいろあってのう。直さないことになったんじゃ。」


長い時が流れて、別の子供が尋ねました。


「おじいちゃん、昔は大きな像があったって本当?」

「本当じゃよ。足は海辺にあって、頭は街に届くほどじゃった。」


「どうしてもうないの?」

「たくさんの人が来てな。バラバラにして持って行ったんじゃ。」


「どこへ連れて行かれたの?」

「わからんが、眠っているより良かったかもしれないのう。」


「どうして?」

「また、働くことができるからじゃよ。」


そしておじいさんは、神様の像の話をしてくれました。


かつて街が他の国に侵略されそうになった時、男達はもちろん、奴隷までも
戦いに出し、女は髪を切って弓矢の弦として、住民は必死に戦いました。


その結果、何とか街を守ることができたので、人々は島の守り神に感謝して
銅像を作りました。


銅像は大きくて大変立派で、街を守るように海に向かって立ちました。


ところが残念なことに地震で倒れてしまい、直すことも考えられたのですが
やめになりました。


神の姿をした像をつくったことが、神の怒りに触れたと考えられたのです。


かといって、像を壊せばまた神の怒りを買うかもしれないため、神像はずっ
と横になったままになっていました。


こうして何百年も経ってから売られ、その神を信じない外国の商人にバラバ
ラに砕かれて運ばれたのでした。



神様の名前は、「太陽神ヘリオス」といいました。


怒って壊したのかどうかはわかりませんが、日中は決して休まないほど働き
者の神様にとって、数百年間も寝ているのはきっと耐えられなかったことで
しょう。


でも、青銅は溶かされて別の物に姿を変え、またどこかで働いたのでした。



地中海に浮かぶ、ギリシア、ロードス島には、こんな巨像の伝説が残っています。


太陽神ヘリオスを守り神とするこの島には、今日も働く太陽が、暖かい日差
しを投げかけてくれます。


今はもう何の痕跡もないそうですが、太陽神が送る陽を浴びれば、壮大な神
像の姿が目に浮かぶかもしれません。


訪れた際は、港に立って働き者の神様の姿を想像してみてはいかがでしょうか。



▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ↓

※神話によれば、太陽神ヘリオスにロードス島を与えたのは全能の神ゼウス
で、ロードス島にはバラが多かったため「太陽とバラの島」と呼ばれます。

神像は、マケドニア軍の侵略を退けた記念としてつくられ、記録によれば像
の全長は34m、台座を入れると50mほどもあったといいます。

大量に必要とされた材料には、敵軍が残していったたくさんの青銅製の武器
が使われたそうです。

建造にかかった期間は、12年とも66年ともいわれますが、残念ながら50
年ほどで地震で足が折れてしまい、以来800年以上も倒れたままだったと
いいます。


▼オマケの話

※銅像は港の入り口をまたいで立ち、中には階段があって人が登ることができ
たそうです。

目には赤々と炎が燃えて灯台の役割を果たし、敵船が侵入しようとしたら右手
に持った煮えたぎる油をかける工夫がされていたともいわれます。

ただ、実際には港口(幅60m)をまたぐには身長が120mほども必要で、
当時の技術では難しいため、港をまたいではいなかったと考えられています。


※1970年になって、何度か像の再建が検討されたそうです。

実現すれば観光促進の効果は計り知れませんが、お金がかかりすぎることが
理由で再建されていません。


※住民が神の怒りを恐れたため、800年以上も倒れたままだった像は、7世
紀にロードス島を支配したイスラム商人によってユダヤ人に売られ、偶像崇拝
を嫌う彼らの手によってバラバラにされ、900頭ものラクダに乗せて運ばれ
たといいます。



▼これであなたも物知り博士?

「現存する銅像で、最も多くの銅が用いられているのは?」


1.自由の女神像
2.鎌倉の大仏
3.奈良の大仏





答え: 

3.奈良の大仏

背の高さなら自由の女神像が40mほどもあり、仮に奈良の大仏が立ち上がっ
ても及びませんが、使用している銅の量は圧倒的に奈良の大仏が多いそうです。

自由の女神像は厚さ4ミリ程度の銅板を張って作られており、銅の重量は50
トンほどだそうですが、奈良の大仏(高さ約15m)は、400トンもの銅が
使われています。

高さ12mほどの鎌倉の大仏も重量が120トンあり、現存する銅像では日本
のものがトップ2を占めていることになります。


ロードス島にあったヘリオス神像は、自由の女神像より少し背が低い程度だっ
たようです。

銅は12.5トンほど使われたという記録がありますが、像の全身を覆うと厚
さ3ミリほどにしかならず、ラクダ900頭で運んだとなると1頭あたり14
kg足らずの荷物なので、実際にはもう少し多く使われたのかもしれません。


▼編集後記

ロードス島の巨像に限らず、巨大なものには興味をそそられます。

最近では建築技術の進歩もあって、100mを超える像が世界各地でつくられ、
超高層ビルが競い合うように建てられています。

ヘリオスの巨像は、紀元前に建造されて50年ほどで倒れ、800年間も寝た
まま(実際には砕けていたらしい)だったにも関わらず、江戸時代の日本にも
その存在が知られており、浮世絵に描かれたこともあるそうです。

大きなものを見たい、高いところに登りたいという気持ちは、昔も今も変わら
ない人の願いなのかもしれませんね。



▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓

「動かない ものにも何か わけがある」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


★次回 旅のものがたり

「奇妙な塔」(仮)


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!

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「旅のものがたり」  

発行者:株式会社いい旅
執筆 :黒崎 康弘
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それでは早速、今回のものがたりをご紹介しましょう。

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【第94回】たべものがたり編

          「変わったお皿と毒の実」


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あるところに、小さな港街がありました。


街は海に面していて、人々は魚をとって暮らしていました。


そこでは一風変わったお皿が使われていて、漁を終えた人々は、家に帰ると
そのお皿で食事をしました。


ある時、街が他の国に征服されてしまいました。


人々は貧しくなって、満足に食事をとることができず、お腹を空かせるよう
になりました。


時には料理を用意できないまま、お皿だけを食べてしまうこともありました
が、食べるとお腹が膨れたので、何とか働くことができました。


そのうち征服者たちが、他の国から新しい野菜を持ち込みました。


ところがその野菜は、毒のある野菜に似ていたので、食べる人がいませんで
した。


けれどお腹を空かせた人が、勇気を出して食べてみました。


変わったお皿の上に乗せて、お皿ごと食べてしまいました。


すると、心配していた毒はなく、とてもおいしかったのでまた働くことがで
きました。


そのうち街が解放されて、人々が自由の身になると、変わったお皿に野菜を
乗せた料理は名物となり、専門に扱うお店もできました。


むかしのイタリアでは、平らに薄く焼いたパンをお皿に使っていたといいます。


その上にスペイン人が持ち込んだトマトを乗せて、ナポリの人々はお腹を満
たしました。


イタリア、ナポリを発祥の地とする、ナポリピッツァ。


今や知らない人はいないほど有名になったこの料理は、一風変わったパンの
お皿と、毒があると考えられていたトマトが組み合わさって生まれたもので
した。


「おいしいピッツァはナポリ以外にもある、でもピッツァはナポリのものな
んだ。」


こうした言葉からは、ピッツァに込められたナポリの人の気持ちが伝わって
くるようです。


イタリアの風光明媚な港街、ナポリを訪れた際には、チーズやトマトに加え
てナポリっ子の思いがたっぷり乗ったピッツァに、舌鼓を打ってみてはいか
がでしょうか。


▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ↓

※古代ローマでは、お皿として平らなパンを使用していたそうで、もともと
食べることもあったようです。

ナポリは、ローマ帝国の支配下、フランスによる統治、スペイン領という経
緯を経て、イタリアに統一されました。

16世紀、スペイン領だった時代にインカ帝国からトマトが持ち込まれまし
たが、ベラドンナという有害植物に似ていたため、あくまで観賞用として、
誰も食べようとしませんでした。

貧しい人が、本来は皿である薄いパンにトマトとチーズを乗せて食べたのが、
ナポリピッツァの始まりといわれます。


▼オマケの話

※ナポリは紀元前6世紀頃に古代ギリシア人が建立したとされ、ギリシア語
の「ネアポリス(新しい都市」が語源とされています。


※ナポリピッツァには本来2種類しかありません。漁師が食べたとされる、
トマトソースとオイルだけの「マリナーラ」、それから有名な、トマトとチ
ーズ、バジルが乗った「マルゲリータ」です。

ナポリが統一イタリアの都市となり、1889年にイタリア王妃マルゲリー
タがナポリを訪れた際に、イタリアの国旗の色を模してつくられたピッツァ
を気に入り、自分の名前をつけたというエピソードがあります。



▼これであなたも物知り博士?

「ナポリを見てから死ね、という言葉があるほど、ナポリは風光明媚な場所
といわれます。
日本にも似たような言葉がありますが、○○に入る言葉は?」

「日光を見ずして、○○と言うな。」

1.旅行
2.最高
3.結構




答え: 

3.結構

冗談のようですが、一部では有名な言葉のようです。


▼編集後記

子供が学校でプチトマトを育てていたのですが、何度か収穫はしたものの、
家に持ち帰って観察の続きをしようとしたら病気になってしまっていました。

トマトは水が多すぎてはいけないそうで、梅雨で雨が多く降ったことと、
水をやり過ぎたのが原因のようです。茎にボコボコと膨らみができ、葉に
は穴が開いて変色していました。

草木を扱う店で聞いたところ、残念ながらもうダメだそうです。でもいきな
り捨てるのは忍びないので、場所を移してしばらく様子を見ることにしました。

一方で、今の時期からでも育つという小さめのトマトを新たに買って育てる
ことにしたのですが、見ていると面白いものです。鉢に土と肥料を入れて苗
を植えると、次の日には葉や茎が明らかに元気になっており、今後の成長を
予感させてくれました。

これから余計な芽を間引いたりしながら、育てていくことになるようです。


「草木を育てることは、自分が育ててもらうことだ。」と聞いたことがあり
ます。

息子よ。トマトを育てて、自分もきっちり育ててもらうがいい。

ピッツァソースほどは無理でも、いくつかは口に入るでしょう。



▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓

「捨てるもの 意外なものから 生まれる宝」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


★次回 旅のものがたり

「眠る神像」(仮)


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!

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【第93回】      


            「最初の皇帝」


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あるところに、「最後の皇帝」と呼ばれた人がいました。


でも実はその人は「最初の皇帝」でもありました。


皇帝として初めてメガネをかけ、初めて洋服を着て、初めて車を持ちました。


皇帝として始めて英語を操り、初めて英語の名前も持ちました。


その生涯は波乱に満ちたもので、2歳で初めて皇帝になり、3回も即位と退
位を繰り返し、結婚は5回もしました。


皇帝をやめてからは牢屋に入れられて、苦労してようやく出てきてからは平
民となって庭師になりました。


日本とも長いつきあいがあり、皇帝であった頃は皇室とも交流し、晩年は日
本の庶民的な食事を好んだこともあったようです。


最後の皇帝、ラストエンペラーこと、愛親覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)。


幼くして皇帝にされ、物心ついてからは皇帝としての人生しか知らなかった
この人物は、激動の時代に翻弄された生涯を送りました。


また、ラストエンペラーという呼び名の他に、「火龍」と呼ばれることもあ
ります。


古くは皇帝のことを龍と呼び、死後、初めて火葬された皇帝であったことか
ら、そう呼ばれるようにもなったといいます。


中国最後の王朝、清国の皇帝であったために、最後の皇帝とも呼ばれました
が、実は最初に行ったことの方が多いのでした。


ラストであると同時にファースト。最初で最後の皇帝、溥儀にゆかりのある
地を訪れた際には、こんな話も思い出してみてはいかがでしょうか。


悩みや恐れが多くて人間臭かった皇帝の素顔に、少しだけ触れられるかもし
れませんね。



▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ。↓

溥儀は、西大后(せいたいごう)によって2歳で皇帝にされ、その3年後に
は清王朝が滅亡しますが、中華民国は皇帝の生活を保証したため、変わらぬ
生活を送りながら育ちました。

しかし18歳の頃にはさらに大きな変化に見舞われ、皇帝から平民にされて
宮中を追い出されてしまいます。

その後日本を後ろ盾に満州国の摂政となり、翌年には再び皇帝となりますが、
日本の敗戦とともに退位し、逃げるところをソ連に捕まってしまいます。

その後は戦争犯罪人として中国で収容所生活を送りました。

収監中は礼儀正しい模範囚だったようですが、自分で靴も服も脱げず、何の
作業もできない溥儀に、周囲の不満は絶えなかったそうです。

特赦で出所してからようやく、短い期間ですが自分の人生を持ったようです。

最期は癌で亡くなりましたが、最後の妻は看護婦だったため、何らかの助け
となったことでしょう。


▼オマケの話

※溥儀は5人の妻を持ちましたが、うち2人には先立たれ、2人とは離婚し
ました。
最後の1人とは添い遂げたものの、生涯子は持ちませんでした。

※紫禁城の改革も行い、大量にいた宦官(かんがん)や女官を減らして経費
削減に努めました。

また、慈善活動に熱心で、中国国内の洪水や飢餓に対しては義援金を匿名で
送り、日本が関東大震災に見舞われた際には、義援金の他、大量の宝石類を
送ったといいます。

これに対して日本も礼儀で応え、宝石類は換金せずに皇室で大切に保管し、
評価額を皇室から支出して被災地の救済にあて、溥儀に代表団を送って感謝
の意を伝えたといいます。


▼これであなたも物知り博士?

「ラスト・エンペラーこと溥儀は、英語を学ぶ中でイングリッシュ・ネーム
を持ちました。その名前は?」

1.エリザベス
2.ジョンストン
3.ヘンリー




答え: 

3.ヘンリー

エリザベスは最初の妻、婉容(えんよう)のイングリッシュ・ネームです。

また、溥儀の家庭教師となったスコットランド人がレジナルド・ジョンスト
ンといいました。

ジョンストンは中国語を解しただけでなく広範な知識を持ち、帰国した後も
生涯を通じて溥儀と交流しました。

溥儀はヘンリーという名を気に入ったようですがキリスト教徒にはならず、
あくまで欧米人に対してのみ、この名を使用したそうです。


▼編集後記

映画「ラストエンペラー」は見ていませんが、幼くして皇帝にされ、自由を
失った溥儀には、様々な悩みを持ったことと思われます。

それでも西洋の文化や学問を吸収し、宮中の大胆な改革を行ったり慈善活動
を行ったりするなど、青年らしく前向きで、正義感に燃えた行動も見受けら
れます。

しかし、皇帝として生きるしかなかった人がその座を追われた時、苦悩はい
かほどのものであったでしょう。

再び皇帝の座につくために様々な画策をし、戦後の裁判では日本を裏切る発
言もあったようですが、日本も溥儀を利用したためお互い様であったようです。

でも亡くなる直前には、晩年に好物となった「日本のチキンラーメンが食べ
たい」と言っていたそうです。


▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓

「通り名の 真逆も当たりのことがある。」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


★次回 旅のものがたり

「変わったお皿」(仮)


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!

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