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2011年12月23日号
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「旅のものがたり」は、素直な好奇心で、先入観なく世界や日本のことを
楽しもうと始めた企画です。雑学や話のネタとしてお楽しみください。

題材は基本的にいい旅のツアーから選んでいますが、時々日本の話や旅と
は関係ない話も登場します。

それでは早速、今回のものがたりをご紹介しましょう。


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【第117回】

            「近くて遠い街」


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大きな陸地の東の端に、小さな村がありました。



小さな村でしたが便利な港があり、活気のある場所でした。



そのもっと北に、大きな国がありました。



その国も港は持っていましたが、何しろ寒いので冬になると氷に閉ざされてし
まい、船が入れず不便です。



北の国は、冬でも使える港が欲しいと思っていました。




その村が他の島国のものになりそうになった時、北の国は口を出してもめごと
を解決し、代わりに自分がその村を借り受けました。



そして自分の国から鉄道を通し、港と街を整備して、「遠い」という意味の名
前をつけました。



しかし、本来その村をもらうはずだった島国は黙っていません。


戦いが始まり、その結果街は、島国のものとなったのです。



島国は、この街をより近代的に整備し、自国の人々を送り込み、滅んだ古い王
朝を復活させるという名目で、とうとう自分達のいいなりになる新しい国まで
作ってしまいました。



でも、その後起こった戦いでまた北の国が攻めてきたため、島国の人々は慌て
て逃げ帰り、彼等が作り上げた街だけが残りました。




古くはロシアに「遠い」と名付けられ、後に満州国と呼ばれた、中国遼寧省の
都市、大連(だいれん)。



後に中国に返されるまでは、再びロシアが街づくりを行ったため、街は日本と
ロシア、2つの国の特徴を持ったものとなりました。



大連という名前は、ロシア語の「ダーリニー」=「遠い」という言葉から来て
いるといいます。



ロシアから見ると、東の果ての遠い街だったのですが、日本からはすぐ近くの
街です。


ただ、戦後は長らく、同じ地域である旅順(りょじゅん)の訪問が制限されて
いたことを思うと、やはり遠い街であったともいえます。



現在は次第に解放され、自由に訪れることができるようになっています。



大連や旅順を訪れた際には、戦争に翻弄された結果とは言え、いくつもの国の
文化を併せ持つようになった街の姿をご覧になってみてはいかがでしょうか。




▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ。↓



※大連は、青泥窪(ちんにわ)、三山など、もともとは違う名前で呼ばれてい
ました。
 
※日清戦争に日本が勝利したため、下関条約によって遼東半島を日本が譲り受
けることになりました。


これに異を唱えて干渉したのが、フランス、ドイツ、ロシアの3国で、その結
果下関条約は破棄され、ロシアが遼東半島を借り受ける形となりました。


ロシアは、良い港を手に入れたかったことと、日本が遼東半島に軍港を持つこ
とに危機感を覚えて干渉しました。



※日本が所有した時、中国の古い地図に大連湾という記載があり、ロシア語の
名前とも似ていることから大連と名付けました。

街には今でも、日本人街、ロシア人街が残っています。



▼オマケの話


※日本が去り、ロシア(当時はソ連)が所有した時期に、大連は旅大(りょだ
い)と名前を変えました。


これは隣の旅順市と合併したためで、その後大連に戻り、旅順は区となり、旅
順口区となりました。




▼これであなたも物知り博士?

「始めにロシアが大連の街づくりをした際に、モデルにした街は?」


1.ドイツのフランクフルト
2.ロシアのモスクワ
3.フランスのパリ













答え: 3 フランスのパリ



▼編集後記


年の瀬も迫って寒くなり、いい旅もあと1週間で仕事納めです。


でもその前に、クリスマスが残っていますね。


うちの子は数日前から風邪で咳が止まらず、とうとう学校を休みました。

クリスマスの特別給食でケーキが出るとかで、絶対休みたくなかったそうなの
で、さぞ無念だったことでしょう。


給食はまた来年のお楽しみとして、この週末には食べさせてあげようと思います。


また、これだけ情報が飛び交う世の中になっても、2年生はまだサンタを信じ
ているようなのでその役も。


枕元にプレゼントを置くのも、きっとあと何回かのことでしょうからね。




●最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今回のものがたりや、現地についてのご感想があればお寄せください。


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それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!



▼もっと詳しく知りたい方には、こんな本も↓


アカシヤの大連 (講談社文芸文庫)/清岡 卓行


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「旅のものがたり」  

発行者:株式会社いい旅
執筆:黒崎 康弘
訪問:いい旅社員
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【第116回】


               「魚売り」



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ある海に面した村で、男たちが毎日魚捕りに精を出していました。



海は豊かで、魚はたくさん捕れたため、毎日大漁が続きました。

けれど魚は傷むのが早いため、早く売らないと腐ってしまいます。



魚が捕れるとポキッと頭を折って、海水で血を抜いて鮮度を保ちました。

そして、魚が新しいうちに、大急ぎで箱に詰めて売りさばきました。



けれど、どんなに急いでも全部売りきるのは無理だったので、遠くの街に売り
に行きたいと思いました。


街に行けば人がたくさんいるので、全部売りきることができます。



それには魚を、日持ちさせなければいけません。


そこで、男たちはいろいろ工夫をするようになりました。




酢に浸してみたり、塩をまぶしてみたりと工夫して、遠くの街に着くまでもつ
ようにしました。


そして遠くの街まで寝ずに歩き、魚が食べ頃のうちに、大急ぎで売りさばきま
した。


塩をまぶした魚は人気になり、男たちが魚をかついで歩いた道には、その魚の
名前がつきました。




福井県南部から京都の間には、今でも鯖街道(さばかいどう)と呼ばれる道が
あります。



男たちは、鮮度を大切にするあまり、鯖を数える際についつい多く数えてしま
うことがあったようです。



また、塩をまぶした鯖を売る際に、ついついちょうど食べ頃の日数と言ってし
まうことがあったようです。



こうしたことから、物の数を自分に都合のいいように言うことを、「鯖を読む」
と言うようになったとか。



鯖街道に行かないまでも、鯖を召し上がる時には、こんな話を思い出してみて
はいかがでしょうか。




▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ↓


※サバを読むというのは、もとは物の数を多く言うことを指し、年齢を偽って
若く言うことは「逆サバ」と言ったりします。


一般には、物の数を自分に都合よく言う意味で使われ、由来は他にもいろいろ
説があるようです。


また最近では、あえて年齢を偽らず「若い」と言わせて、「美魔女」と呼ばせる
手法も見られます。



※相撲の決まり手で「鯖折り」という技がありますが、鯖の頭を折るところか
ら来ているそうです。


相手に全体重をかける危険な技であるため、子供の大会では禁止だといいます。


※福井から京都へ続く鯖街道は、約七十キロの道のりです。寝ずに歩いて運ぶと
ちょうと食べ頃になったそうで、男たちは「京は遠ても十八里」と歌いながら、
運んだといいます。


現在の鯖街道では毎年マラソンが行われており、行程は76kmほどです。


距離もさることながら、高低差があって未舗装路も多く、かなりハードなようで、
「鯖街道ウルトラマラソン」と呼ばれます。



▼オマケの話


※鯖の名の由来としては、小さい歯が多いという意味で、「小歯(さば)」と
呼ばれたとも言われます。


鯖は脂肪の多い魚ですが、夏頃までは身と皮の間に脂があり、秋になると脂が
身にまわっておいしくなるそうです。


「秋鯖は嫁に食わすな」という言葉の意味は、嫁いびりであるという説と、脂
肪が多くて体によくないから嫁をいたわっているという説があります。



▼これであなたも物知り博士?


「次のうち、鯖は食中毒を起こしやすい、ということを表す言葉は?」



A.鯖の行き倒れ
B.鯖の生き別れ
C.鯖の生き腐れ













答え.


C. 鯖の生き腐れ


鯖はたくさん捕れて味も良い魚ですが、傷みが早いのが難点でした。


脂肪分が多いためと、死ぬとヒスタミンという物質が生成されるためで、ヒス
タミンが増えても腐敗臭はしないため、匂いに問題がなくても食中毒を起こす
ことがあるそうです。


このあたりから「生き腐れ」と呼ばれますが、別に生きている時から腐ってい
るわけではないようです。


鮮度がよければ問題はなく、西日本(特に九州)では生のまま胡麻であえて食
べる(胡麻鯖)ことが多いといいます。


でもその味を再現しようとして”当たる”例も多いようなので、ご注意を..。


こちらなら安心のようです。


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▼編集後記


この「旅のものがたり」には、時々副題をつけています。


ただ、「たべものがたり」か「いきものがたり」かを、人間の都合で決めてい
いものか迷うことがあります。


今回のサバも迷ったのですが、最終的には話の主題で決めています。


最後には食べてしまうから「たべものがたり」。


結局人間の都合で決めているんですけどね。


せめて残さず食べましょう。




▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓


「生き物を 食べる物に変えたなら せめて残さず食べるべき」




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★次回 旅のものがたり

「...」未定



それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!


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【第115回】

           「千里を駆ける」


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あるところに、いくつかの国がありました。


はじめに、東の国が北の国に攻め込みました。


ところが、こてんぱんに打ち負かされてしまいました。



この時代は馬の力がものをいいました。

北の国の人は決まった家を持たず、いつも馬に乗って暮らしていたため、非常
に強い力を持っていたのです。


西にも国があり、その手前には、砂漠と山脈に挟まれた細長い平原がありました。


西へ行くにはそこを通るしかないのですが、北の人がその平原を支配しており、
通る人を見つけると襲いかかります。


そのうち、北の国が西の国に攻め込み、さらに西へ追いやってしまいました。

それを知った東の国の王は、西の国に使いを送りました。

2つの国で力を合わせれば、強い北の国を倒せると思ったのです。


使いに出た男は、途中で北の国に捕まってしまいましたがあきらめず、ついに
脱出して、西の国へ辿り着きます。


「東の国の者です。一緒に北の国を倒しましょう!」


けれど、10年も経っていたので、西の国はもう恨みを忘れていました。


移り住んだ場所も、思いのほか暮らしやすかったため、これ以上の争いを好まな
かったのです。


男は1年かけて説き伏せようとしますが叶わず、ついにあきらめて国へ帰り、
王に詫びました。


「王様、ただいま戻りました。ですが使いを果たせず、申し訳ありません!」


実は、11年も経っていたので、王様はもう使いのことを忘れていました。

けれど男が戻ったことを喜び、西の国の話をいろいろ聞きました。


王様が強い関心を示したのは、馬の話でした。


西には優れた馬が多く、空を飛ぶツバメよりも速く、一日に千里を駆けると
いいます。


王様は、ぜひその馬を手に入れたいと考えました。


西の国が力を貸さないならば、良い馬を手に入れて、自分たちだけで北の国
を倒そうというのです。


再び使いに出た男は、また長い時間をかけて、ついに王の前に名馬を並べる
ことに成功しました。


また、男が二度に渡って旅した西の地域の情報は、大きく役に立ちました。


王様はその後さらに多くの馬を集め、北の国を圧倒して平原を手中におさめ
ることになりますが、その偉業の陰には、生涯をかけた男の尽力があったの
でした。



男の名は、張騫(ちょうけん)と言いました。


東の国、漢の武帝(ぶてい)の偉業は、命がけで千里の道を2度も駆けた、
張騫の働きを抜きには語れません。



後にこの時代の遺跡から、青銅でできた見事な馬が発掘され、馬踏飛燕(ば
とうひえん)と名づけられました。


馬のひづめの下にはツバメがおり、自分を追い越していく馬を驚いて見つめ
ています。


中国は甘粛省の、ある博物館に展示されていますので、訪れた際は見事な青
銅の馬から、西域を駆けた張騫の長い旅にも思いを馳せてみてはいかがでし
ょうか。



▼もうちょっと知りたい!という方はどうぞ。↓

漢王朝は紀元前200年頃に成立し、北の匈奴(きょうど)を撃つべく遠征
を行いますが、騎馬戦に長けた彼らに完敗してしまいます。

そのおよそ60年後に即位した武帝は、西の月氏(げつし)が匈奴に敗北し
て追いやられたと知り、協力して匈奴を討とうと使いを出しました。

同盟は失敗に終わりましたが、張騫は西域の事情を詳しく報告し、それをも
とに武帝は西域に攻め込んで念願の良馬を手に入れ、匈奴の征伐につながり
ました。


※東西の長さ約900km。山と砂漠に挟まれ、幅が数kmから100km
と不規則な長い平原は、黄河の西にある回廊、ということから河西回廊(か
せいかいろう)と名づけられました。

古代のシルクロードの一部分として、古代中国と西方世界の交流を進めた重
要な国際通路でした。



▼オマケの話

※1日に千里を走ると言われた名馬は、赤い汗をかくという話から、汗血馬
(かんけつば)と呼ばれました。

一説によれば、馬の皮下に寄生虫がおり、そのかゆみで狂ったように走り、
血を含んだ汗が流れる様子から生まれた名称であるとも言われます。




▼これであなたも物知り博士?

「次のうち、最も早く走る動物はどれでしょうか。」

A.人間
B.馬
C.ウサギ








答え.

C ウサギ

人間は時速36kmほど、馬は70kmほど、ウサギは80kmほどだそうです。

瞬間的な速度だとは思いますが、ウサギ速いですね!




▼編集後記

中国では一里が500mだそうなので、千里は500kmとなります。

ツバメは渡りの際に、時速50kmほどで約6時間飛ぶそうなので、一日300
kmほど飛ぶ計算になります。

仮に汗血馬が本当に一日に千里を走るとすれば、距離ではツバメを凌ぐようです。


ただ速さは別で、ツバメは時速200kmもの速度を出すことができます。
(種類によっては時速300km近く)

馬の最大速度は、短距離用に改良されたサラブレッドでも60から70kmほど
だそうですので、ツバメに軍配が上がりそうですね。

動物ってすごい!



▼ものがたりに学ぶ、今週の教訓

「人は忘れど忘れまじ。囚われようともあきらめぬ。主のためなら千里の道を、
駆けて抜けよう2度までも。」


なんか演歌の紹介みたいになりました。



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★次回 旅のものがたり

「魚売り」仮


それでは、次回の「旅のものがたり」をお楽しみに!



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執筆:黒崎 康弘
訪問:いい旅社員
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