D51 463と言う蒸気機関車 | 今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録

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D51463号機は別段なにか特別な装備を持っているとか、そんな機関車ではなくて現役蒸機晩年の頃の標準的なD51です。ただ私にとって福知山区時代に身近な舞鶴線で何度か会ったことのある数少ないD51で何処か親近感を勝手に持っていて、それが後年になって関西本線や山陰本線西部で会うのですから何か懐かしい旧友にでもあったような気持ちになり「やぁ、元気にやってるなぁ」なんて心の中で話しかけてたりと個人的に特別な存在の機関車でした。

 

 

福知山時代

 

関西にあって旋回窓を持ったD51は珍しい存在で、そういう意味では印象的でした。

舞鶴線 淵垣ー綾部

 

旋回窓からして東北辺りの機関車だとは思うのですが鷹取式の集煙装置がよく似合って すっかり関西の機関車の風貌です。

舞鶴線 梅迫ー淵垣

 

 

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下記はネコ・パブリッシング刊「国鉄時代」vol.10 P64 国鉄蒸気機関車 集煙装置の系譜 成田冬樹氏 からの切り抜きです。

 

当時の関西現役蒸機の実情を知らない関東辺りのファンが、今になってしたり顔で「鷹取工場で考えられた集煙装置を後藤工場で作られたものは後藤工場式だ」と提唱し始めたりするので、関西のファンからしてみれば面白いはずありません。

 

これらの資料を見ても「あなた!まだ、これが後藤工場式だと言えますか?」(^^ゞ

 

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キャブ前窓のヒサシも標準のもので福知山区に来てから日が浅いことを示しています。

舞鶴線 梅迫-淵垣

 

憂鬱な時雨空のなかを奮闘するD51463

舞鶴線 真倉ー梅迫

 

冬の枯野を行く

舞鶴線 真倉ー梅迫

 

 

真倉駅は駅構内を出るとすぐに勾配が始まり

凄い勢いで真倉を出てきたD51463

舞鶴線 真倉

 

冬の低い太陽が鈍くD51の車体を浮かび上がらせる

舞鶴線 真倉-梅迫

 

 

奈良時代(日本史の事ではありません^^;)

 

関西本線では機番の分からないような場所での撮影が多かったためにD51463を意識して撮影することがなかったのですが、関西本線に最後の現役蒸機を求めて関駅に行った折り、ひょっこりとD51463が荷物列車を牽いて現れたので運命の綾を感じずには居られませんでした。

 

福知山区から奈良運転所に配属されたのは1972年3月のことで、そのタイミングでキャブの旋回窓を外されたようです。

関西本線 関-加太

 

峠を下ってきた上り貨物列車の後補機のナンバープレートをファインダー越しに見てD51463だと思っていたのに、帰って写真を冷静に見たら砂撒管がD51463の特徴である3本平行ではなく、どうやら此の機関車はD51403のようです(^^ゞ

関西本線 中在家(信)ー加太

 

 

長門時代

 

 奈良運転所のD51463が長門区に転配されたのは関西本線の無煙化を受けての事なので1973年10月の頃だと思われます。広島工場が受け持ちの長門機関区ではD51463が転属して来た直後に鷹取式の集煙装置を外されています。これは鷹取式集煙装置を着けたD51全般に言えることで、長門区に移った直後に間髪入れず集煙装置を外されています(D51797を除く)

 それに引き換え津和野運転所の長工式集煙装置を着けたD51で長門区に転属されたものは最後まで長工式の集煙装置を着けたままでした。 この辺りに西日本にあって津和野のD51だけが長工式の集煙装置を着けていた理由であるようです。関西の工場と同じようにしたくないと言う広島工場のプライドは今でもキハ40系の都市近郊色に現れていて、広島工場で整備されたキハ40系の都市近郊色は標準色に比べて かなり鮮やかな色彩になっています。

 

須佐駅前旅館に泊まった日の1973年の年末のこと、移動する前に須佐駅に到着するD51貨物を撮ろうと構内の外れで待っていると到着した貨物列車の牽引機はなんと数か月前に関西本線の関駅であったD51463で、この時ほど此の機関車を身近に感じた事はなく鳥肌が立つくらいの感動でした。煙突周辺には集煙装置を外した跡がありました。

 

自ら牽いてきた貨物の入替えが始まりました

山陰本線 須佐

 

大刈峠に向け猛然と須佐を出て来た

山陰本線 須佐-宇田郷

 

各地の電化によって翻弄されるように日本列島を北から南までを駆け抜けたD51463のお話しでした。

 

最後まで御覧戴いて ありがとうございました。