異動力3重連もあった主力機のDD54 | 今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録

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 現役蒸機が走っていたころ、山陰線東部地方ではDL補機の付く勾配区間や蒸気機関車の交番検査や廃車回送の貨物列車を撮ると意に反して当時の主力機であったDD54が写り込んでたりして、何とかDD54が目立たないように蒸気機関車を主役に撮れるように苦心したものです。

 

 今回は形式消滅が決定的になって急に人気が出てきたDD54の、そんな縁の下の力持ち的存在だった頃の写真を集めてみました。

 

 

 交番検査だったのでしょうか?ナンバープレートを付けたまま西舞鶴のC12がDD546に牽かれて西舞鶴へと帰って行くところです。

山陰本線 和田山-梁瀬 1970年8月12日

 

 狭いテンダーに積まれた主連棒のビックエンド(?)がテンダーから少し顔を出しています。

山陰本線 和田山-梁瀬 1970年8月12日

 

 

 数週間前、福知山区に留置されていた姿を目撃していたC58221がDD54貨物に繋がれて和田山駅に停車していました。C58221は紀伊田辺の罐で、どうやら後藤工場への廃車回送のようで、スライドバーやリターンクランクは荒縄でくくられていてナンバープレートも外されています。 それに比べ上記のC12215はナンバープレートも着いたままでクロスヘッドも外されていません。これらの事は交番検査と廃車回送の違いからのものだったのでしょうかねぇ?

山陰本線 和田山 1971年9月12日

 

 DD54に纏わる話しでとても珍しい列車に遭遇したことがあります。 播但線の生野峠でC57貨物にDD54前補機が着いたのは有名な話しです。

 この日も次のC57貨物にはDD54の前補機が着くのは分かっていたので写真にはあまり期待していなく、友人と河原で遊びながらC57の貨物列車を待って居た時のことです。 すると、あろうことか!C57の後ろにもう一両DD54が着いたDD54+C57+DD54と言う世にも珍しい3重連がやって来たではありませんか!?(◎ ◎) おそらく最後のDD54はムドの回送だとは思いますが、こんな珍しい3重連が来ることが分かっていたら「3重連がわかるように線路際で待っていたものを!」と一生後悔の残る悔しい思いを残してしまいました。

播但線 寺前-長谷 1971年12月27日

 

 

DD54の引退が囁かれ始めた頃

 山陰本線の居組駅でDD51がDD54の客車列車を待って居ます。 この頃になると山陰線東部でもDD51の進出が目立つようになってきました。

山陰本線 諸寄-居組 1975年3月15日

 

 その3年ほど前までは未だ箱型のディーゼル機関車が当たり前の頃で、貨物列車も当然のようにDD54が牽いていました。 無煙化が進む時代だったので貨物列車の車列の一番前に廃車になった蒸気機関車が連結されている事がよくありました。

山陰本線 宿南(信)-江原 1972年5月21日

 

 運ばれているのは吹田のD5166です。デフにはナメクジとは全く無関係のツバメの絵を誰かが落書きしていますね(^^; 大らかな時代でした。

山陰本線 八鹿-宿南(信) 1972年5月21日

牽引していたDD5423は既に解体されてしまいましたが、D5166は片町線沿線に静態保存されています。

山陰本線 八鹿-宿南(信) 1972年5月21日

 

 

播但線のC57撮影にDD54は本当に厄介な存在でした。

播但線 生野-新井 1971年10月24日

 

 故障の多い機関車と言うのならウソでもイイからDD54の不調でC57が代走してくれないかと真剣に思ったものです(^^ゞ

播但線 新井-生野 1972年2月6日

 

あのC5711の前にもDD54の前補機が・・・

もう"やけくそ”で撮った一枚です

播但線 生野-長谷 

 

 寝台特急《出雲》の間合い運用でしょうか? 山陰線西部でもD51列車の前に《出雲》仕様のDD5434が着いてやってきましたショボーン

山陰本線 湯里-温泉津 1972年4月1日

 

 寝台特急《出雲》のようなブルトレも牽引するDD54にとって最も華やかな時代で、まさか早晩あんなに早くDD54全機が引退してしまうなんて考えも及ばなかった頃でした。孝行したい時に親はナシの諺のように、撮影する機会は幾らでもあったのに、もっと大事にDD54を撮っていれば良かったなぁと思う今日この頃です。

 

最後まで御覧戴いて ありがとうございました。