たまたま家に残っている時刻表を基に、無い知識を駆使したド素人の考察なのでかなり曖昧な事柄ですが、その辺は御容赦下さい。
大田市駅に進入する「さんべ1号」
1972年8月8日 撮影
この「さんべ1号」は米子発、小倉行です。
上り線には西舞鶴行き546レのC57と
560レ鳥取行き普通貨物のD51が待っています。
通常ダイヤですとC57が牽く546レと
801D「さんべ1号」は久手駅ですれ違う筈ですが
先の豪雨災害でダイヤが乱れていたようです。
↓の時刻表は昭和37年7月号です。
益田7:50発の506D準急「石見」の
発車時刻に注目してください。
この時の2602レ急行「だいせん」は1号も2号もなく、大社始発、京都行の客車急行列車です。702レ急行「三瓶」は浜田が始発で、出雲市より大社からの客車を併結しているようです。個人的に興味深いのは、小さな頃から福知山線急行として長い間慣れ親しんだ名前の急行「だいせん」は、ヨンサントオまでは京都⇔大社の山陰本線の昼間急行列車で、大阪⇔浜田・大社の福知山線昼間急行の名称が「三瓶」であった事です。
昭和37年当時「だいせん」も「三瓶」も客車列車のようですが、昭和40年頃から3年間ほどは急行「三瓶」は気動車化されていた事を今回教えて戴いたのですが「だいせん」はどうだったのか?とても興味深いところです。(昭和40年から昭和43年前半の時刻表は手元にないのが残念です)
そして↓ヨンサントオ直後の昭和44年11月号です。
準急「石見」は急行に格上げされて益田発が7:41に
益田8:50発、大阪行「だいせん2号」が生まれています。
どうやらヨンサントオの大改正で福知山線急行「三瓶」の名称は、山陰⇔九州の気動車急行「さんべ」になったようで、「三瓶」と「さんべ」は音は一緒ですが、まったく別系統の急行列車と考えなくてはいけないようです。
ヨンサントオで一旦 始発駅が出雲市に設定された夜行急行「だいせん」でしたが、のちに寝台急行編成のまま大社線に乗り入れ大阪⇔大社間の夜行列車となり、国鉄民営化後も暫らく福知山線の夜行急行列車として名を馳せた「だいせん」のルーツは間違いなく急行「三瓶」のようです。
20系夜行寝台急行「だいせん8号」
福知山線 広野-三田 1980年8月 撮影
昭和47年8月
急行「石見」が益田を7:45に
「だいせん」は1号と名称を変え益田を8:30に出ています。
この年の春に益田始発の特急「やくも」号が新設されました。
時は経って昭和57年9月の時刻表です↓
詳しく調べてないので何時からかは分かりませんが
512D急行「石見」は益田発車時刻を6時に繰り上げられ
益田-浜田間だった普通列車528レが長門市-出雲市間となり
この528レが益田を7時45分に出発しているところが
とても興味深いです。
因みに益田発8:08となった「だいせん」は4号となり
依然、益田の始発から急行列車扱いです。
益田-浜田間の仕業だった頃の528レ
岡見-三保三隅 1973年3月 撮影
本当は1984年(昭和59年)2月のダイヤ大改正前の
1983年の時刻表が欲しかったのですが
手元にありませんでした。
昭和59年2月号
昭和59年(1984年)2月のダイヤ大改正で、528レ普通列車のスジに「だいせん4号」(米子まで快速扱い)が、それまでの気動車急行「だいせん4号」だったスジに、普通列車526レが引かれただけで他の列車に変更はなさそうです。
以上のことから、紆余曲折はありながらも、国鉄末期まで運転されていた益田発の上り「だいせん4号」のルーツは準急「石見」であるのではないか?と考えました。
まぁ上り準急「石見」は急行に格上げされてからも、鳥取行の山陰ローカル急行だったので、大阪行の福知山急行のルーツとするには少々無理があるかもしれませんが(^^ゞ ひとつの列車をこうして追うのも面白いものです。
写真が好きなだけのド素人が考えた考察を
最後までお読み頂いて ありがとうございました。