70年前、 私のおじ、おば、三才のいとこが  一瞬にして  原子爆弾で  亡くなった。

父は  すぐに長崎に助けに行ったとのこと、小さな頭蓋骨と大人の頭蓋骨と神戸から持って行った腕時計が見つかり、姉たちの死を悟った。

父は姉のために投下の一週間前、防空壕を掘りに行っていたらしい。おじは 血を吐きながら一週間生きた。

あちこちで悲しい辛い話ばかり。  おじは親からもう妻子のところに行ってやれとの言葉を聞き、静かに息を引き取った。

父はその時の様子を涙を流しながらわたしたちに伝えた。アメリカの悪口は一切言わなかった。わたしたちが  アメリカを恨まないよう配慮していたように思う。

70年間アメリカは  原子爆弾、あれは正義だった、と胸を張って言い続けた。私はその言葉を聞くたびに  正義ってなんだろう?と悲しく思った。

巨大な正義はない。 

今年 テレビで一般のアメリカの婦人が原爆を  落として申し訳なかったとの謝罪の言葉をおっしゃった。涙がでそうになり、心が安らいだ。初めて、初めて  耳にした謝罪の言葉だった。

今年、あるアメリカの大統領の息子さんも謝罪の活動をされていることを知った。そのことを知り、なぜかほっとした。

娘一家を失い、祖父も祖母も  悲しく辛い日々を過ごし、祖母は60過ぎで亡くなった。  私は素敵だったらしい祖母に会いたかった。

父は  終戦の日や原爆投下の日には 毎年 正座をし、テレビを観て、祈り 泣いていた。   

大きな正義はない。正義のための戦争は間違い。

戦争が正しいと考える政治家は 私財をなげうって戦うべき。大切な税金に手を出してはいけない。

私は、税金を、支えのいる人のために 収めている。政治家のポケットマネーではない。

政治家は  戦争にはど素人なので一兵卒として動くよう法律を制定すべき。庶民目線になるべき。そして兵隊は私たち50歳以上とすべき。

多分それぞれ言うことを聞かず、統制がとれないような気がしますが。

若い純粋な人は国内にいてほしい。幼い子供からお父さんを奪ってはいけない。そばにいて幼いかわいい子どもたちを守ってほしい。

家の中での父親は   柱です。  小さな幸せを継続するほうが難しい。それができる人が本当に強い男性です。あこがれます。

肩書きではない、中身です。