私は前にもそう言いましたが、多くの人はいまだにこの大切な前提を本当に理解していません。

 

あいかわらず、

語学の習得度は知識量に比例すると思い込んでいる人が多いです。

 

なので、この塾にいくら払えばどのくらいの知識量を提供してくれるのかなどと推し量る傾向はあいかわらずです。

 

しかしながら、今時のネット社会では外語知識なんかいくらでも無料で手に入るのです。それで、外語を習得する人なんているのでしょうか?

 

これもまた英語のみならず「外語難民」が量産される大きな原因です。

 

根本的原因は「言語とは技術である」という正しい認識をする人があまりに少ないからです。

 

私がこういっても、本当にわかっている人はいないと思うので例を変えます。

 

知識を増やすことを主旨とするやり方は、野球のピッチャーに例えると「短期間にストレート・カーブ・フォーク・シュートなどの球種を教えるのに等しい」のです。

そんな文句を売りにするスクールに、あなたは子供を入れたいですか?

「もっとじっくり教えてください」というでしょう?

 

習得は知識量とは無関係。それは例が運動だとよくわかるのですが、語学だとどうしても知識が増えることが進歩だと思ってしまいやすいのです。

 

「技術」が追いつかなければ「知識」だけ増えても全く使えないことは、運動とまったく同じなのです。

なので、よいピッチャーになりたければまず基本のストレートだけ。それを狙ったコースに的確に投げられ、投球の組み立てや駆け引きができるようになって初めて、変化球に入っていけなければものにはなりません。

そうなるために、最初は基本ばかりの反復になるのは当然です。

 

最初のうちは、日本語を媒介にせずに外語のみで反応し思考するのは、ボールを投げるのと同じでうまくできません。なので、何度もその感覚を反復して身に付ける必要があるのです。

その感覚と操作法を「技術」と言うのです。

 

ネットで知識を漁っても、理解して暗記しても、「技術」は身に付きません。

それを教えられるコーチが、つきっきりで反復練習させることが必要。

「技術」は「知識」より時間がかかるし、抽象的だし、難しいのです。

 

「80歳のおばあちゃんが急に英語ペラペラに」なんてありえないのは、知識ではない技術が急に身に付くはずがないからです。

 

それは「運転免許のなかったおばあちゃんが急にF1レーサーに!」と言うのと同じくらいの誇張表現です。

 

80歳のおばあちゃんがペラペラになること自体は、ありえないことではありません。

でもそれは、剣玉の高等技をこなすように少しずつの技術練習を蓄積した結果です。

なので「急に」は無理です。

 

ある日自転車に乗れるようになるように開眼することはありますがそれは「何の基礎もない人が急に」ではありません。