まさかこんな長期連載になるとは | 或る獣の太陽への咆哮

或る獣の太陽への咆哮

エトバカ三兄弟、長男のブログです。ちょっと滞りがちですが、まぁ許してくだされ。

一番思っていなかったのは、誰あろう私です。ていうかお前が早く書きゃ(ry

とりあえず、終わりました。


 ファリス神殿の鐘が、強く打ち鳴らされた。三回。弔いの鐘だ。
 ファーンの時、葬儀の全てを指揮したのは、ジェナートだった。だが、その彼はもうとうに、天の上だ。
 今、指揮をしているのは、ロエルだった。若き王の棺の前で、長い追悼の祈りを捧げている。
 誰からも愛された神官王。彼の死をまだ受け入れられない者は多い。例えば、フィアンナがそうであるように。
 彼女は既に言葉というものを失っていた。目立ち始めた腹部を覆うゆったりとした黒衣を纏い、両手を組み合わせてはいるが、まるで顔に生気がなく、今も女官二人に両脇を支えられている。それでもふらふらと揺れる。そんな状態だった。
 懐妊を喜んでくれるだろう夫の、物言わぬ体を迎え入れた時、フィアンナは一分叫んだ。声が切れるのではないかというほどに甲高く、大きく叫び、そしてそのまま意識を失った。
 まだ彼女は、死因を知らない。知ったらここで倒れてしまうだろう。誰よりも夫が信頼していた親友の自由騎士が、つい先日ロードスの騎士と讃えられたばかりの彼が、エトの胸を深々と抉り、殺したのだ。おそらく。
 目を覚ましたロエルたちが目にしたのは、全員が目を疑った光景だった。
 大地にくずおれるエトの側に、パーンが倒れていた。駆け寄った時には、まだ息があった。エト、ディード、ごめんな…と、ずっと呟いていたのだ。エトとディードの名を繰り返し、何度も呼び、そしてディードリットの呼びかけに応じることなく、そのまま息を引き取った。死因は頚動脈を切ったことによる、出血多量。レイリア、ニース、リラ、ロエル。誰の蘇生も意味を持たなかった。ディードリットは半狂乱となり、エレナが眠らせなければ、あのまま狂ってしまったかもしれない、と誰もが思うほどだった。
 彼はエトが大事にしていたファーンの短剣を押し当てていた。エトの両手を握りこみ、そして見たことのない鍵も握っていた。右肩には深々と剣が突き刺さり、そこからも絶え間なく血が流れ出していた。エトの胸には、パーンの愛剣。
 エトの遺体を運んできたのは、宮廷魔術師のフィラートと、エトの昔馴染みだという女戦士だった。名前はリア。
『ごめんなさい、あたし何にもできなかったわ…』
 呆然としたままのフィアンナに深く頭を下げ、できれば葬儀に参加させて欲しい。そう呟いた。
 そして、懐から一通の封書を取り出し、手も上げられないフィアンナの代わりに、シアーヌに手渡した。
『エトからあたしに送られてきました。預かっておいてくれって。だから、お返しします』
 そのリアは末席で、大声で泣いていた。隣で彼女を支える夫に縋りつき、バカ!と何度も叫んでいた。その様子が、さらに列席者の涙を誘う。フィアンナはまだ、涙の一つも零れない。現実を受け入れられないのだ。
 パーンの遺体は、安置所で眠っている。エトの葬儀が終わってから、ファリス神殿で葬儀を行うのだ。まだ彼がエトを”殺した”とは限らないので、誰もそれに異を唱えなかった。
 ロエルの祈りの言葉が、最後の一節を迎えた。
「神よ、彼の御魂が安らかならん事を…」
 いやぁぁぁぁぁ!!という絶叫で、フィアンナが始めて涙を零した。たちまち、彼女の頬を濡らし、薄化粧を落としていく。
「陛下!エト様!置いていかないで!どうして!どうして…!」
 彼女に背を向けて手を組み合わせていたロエルの頬に、涙がポロリと零れた。
 外は雨。しばらく、この霧雨は、止みそうもない。


「エト様、また参りますわね…」
 長くしゃがんでいたため、少し痺れた膝を叩いて、フィアンナは立ち上がった。側に立てかけていた日傘を差し、ゆっくりと墓所から離れていく。
 もちろん、エトの墓だ。ファーン王の隣、御影石と大理石で作られた、それは立派なものだ。墓標にはエトの紋章。刻まれた生年は、あまりに短い。供えられた数え切れない花は、毎日途絶えることがない。
 フィアンナは、彼が埋葬されて以来、毎日ここを訪れ、長い時を過ごしていた。こんな冷たい石の前でも、彼がいてくれるような気がするからだ。色んなことを話し、そして家へ帰る。
 エトがリアに託した手紙には、彼の死後のヴァリスのことが克明に描かれていた。まるで未来を見てきたかのように、的確に。
 現国王は、聖騎士団長のレーベンスだ。エトを守れなかった彼はしばらく自死を望むほどに悩み、苦悶を続けていた。だが、エトの手紙によって推挙され、拒む暇さえなく、国王となった。
 神聖の長たる最高司祭は、ロエルがその任に就いている。エトは彼の神聖力の偉大さ、カリスマ性、威厳、それを手紙でとうとうと説いていた。ロエルは手紙を握り、しばらく俯いて肩を震わせていた。
 一度自殺未遂まで起こした近衛騎士団長のフェグルスはそのまま任についている。レーベンスに慰められ、ようやく生きる気力を取り戻したが、今でもともすると空ばかり見ている。
 口やかましかった侍従長のエルモアは、逝ってしまった。パーンの葬儀が終わったその翌日、自宅で眠ったまま死んでいた。まるでエトについていったかのように呆気なく、そして満足そうに。
 あまりの事態に放心状態だったフェネアはエトによって高司祭に推挙され、今は元気に勤めを果たしている。エトが手紙でこう伝えたからだ。
“フェネア、あなたは聖王宮の清涼剤です。あなたが落ち込んでいては、みなが元気をなくしてしまいます。どうか、前を見て、明るくいてください”
 傍目からは空元気とも映るが、それに周りが救われていることも事実だ。フェネアはいつでも笑顔だ。
 マーニンは宰相になった。サヴォイは巡検使を辞め、今は神殿で働いている。スヴェルトは医師を弟子に譲り、もっぱら薬草の栽培に勤しんでいる。
 そして、フィアンナは今、城下に住んでいる。それはエトとの、昔からの約束だったのだ。


『フィアンナ、城の外に興味はありますか?』
 そうエトが尋ねてきたのは、夫婦の営みを終え、ベッドの中で抱き合っている時だった。軽く夢見心地だったフィアンナは半分きょとんとする。
『ええ、とっても』
 そう答えると、エトはにっこりと笑った。
『それは、よかった』
『どうしてですの?』
『もし私が王を辞めて、市井に降りたいと思ったときに、あなたが城下嫌いでは、困ってしまいますから』
『まあ、辞めてしまいますの?』
 エトが唇の前に人差し指を翳す。
『もちろん、内緒ですよ。でも、もしかしたら、ね。そうしたら、城下に家を建てましょう。北の街に、空き地があるのですよ。そこで暮らしませんか?』
『二人だけで?』
『ええ、当然。どうですか?』
 フィアンナははしゃいで、夫に抱きついた。
『嬉しいですわ』


 彼の手紙にも、そのことがはっきり書いてあった。
 彼の私財の半分をフィアンナに譲り、その中から家を建てるための資金を捻出すること。そして、残りの半分は全て、孤児院設立と運営の資金とすること。
 エトはファリス教団により、ファリスの降臨を行い、ファリス信仰の浄化を進めた人物として聖人に列された。その名を取り、孤児院は聖エトの家と呼ばれている。戦争で両親を失った子供たちが大勢住んでいる。
 フィアンナは夫と住むはずだった家に、一人で住んでいる。もちろん、ずっと姫として育ってきた彼女は家事が一切できないため、召使が三人住み込み、女官長の地位を辞したシアーヌも毎日顔を出してくれる。王宮からは支度金が支給され、住むに当たって困ることは何もない。
 けれど、フィアンナは夫の死後、一度も笑っていない。何があっても、楽しいという気分になれないのだ。無事に女の子を産んでも、喜びはなかった。私一人で、この子をどう育てていけばいいの…?
 最近掴まり立ちを始めたその子は、夫の名を取り、エトノアと名付けられた。夫に似て静かで、同じ青い瞳をしている。今は家で眠っていることだろう。シアーヌが子守りをしてくれている。
 さあ、そろそろ帰らなければ。シアーヌに要らない心配をかけてしまう。
 未だに脱げない喪服のまま、静かに階段を降りていく。
 その階段の下に、今日は見慣れない客がいた。
「あ…」
 二人のエルフの女性。一人のエルフは知らない顔だったが、もう一人のエルフは、フィアンナもよく知っていた。今最も、フィアンナに近い環境の、女性。
「フィアンナ殿下…」
 ディードリットはかすれた声で呟き、そしてその場に崩れおるように跪いた。隣のエルフは腰を深く屈める。
「ディードリット様…」


 夫の死因を聞いても、フィアンナの中に怒りは沸いてこなかった。感情が浮かばないのではなく、怒りという感情に結実しないのだ。
 きっと、パーン様にも何かがあったのだわ。だから、そういう結果になってしまった。そうよ。絶対に、そうだわ。
 だって、パーン様がエト様を殺すなんて、絶対に有り得ないもの。
 二人は、フィアンナが羨んでしまうほどに強く結びついていた。友情とかそういうものを超越した何かで、深く繋がりあっていた。
 だから、今でもフィアンナはパーンを恨んでいない。彼の死をも、強く悼んでいるのだ。夫の墓に参った後はいつも彼の墓の前で祈っている。
 ディードリットが何か言い出す前に、フィアンナが語りかけた。
「とてもお加減を悪くされて、一度森に帰られたとお聞きしましたけれど…もうよろしいんですの?」
 彼女の手を取り、立たせる。ディードリットは弱い動きで頷き、すぐに俯いてしまった。
「…ごめんなさい」
 彼女が謝る気持ちも分かる。だが、それはディードリットのためにも、フィアンナのためにも、とてもよくないことだ。
「ディードリット様が、どうして謝られますの?」
「だって、パーンがエトを…エト王を…」
「それは、本当にそうでしたのかしら?」
「え…?」
 思わず面を上げたディードリットは、今までの美しさを見慣れていただけに、思わず眉を顰めてしまうほどに、やつれていた。きっと、自分も大差はないのだろうが。
「確かに、夫は死んでいたと聞きました。パーン様の剣で…」
 ディードリットが細かく震える。
「けれど、私にはとても信じられませんわ。あのパーン様が、そんなことをなさいます?」
「それは、そうですけど…でも…」
「私、パーン様には何かの理由があったのだと思いますわ。あんなにお優しくて、夫をいつも安心させてくださっていたパーン様が、何の理由もなく人を刺せるとは絶対に信じられませんもの。ですから、ディードリット様。どうかお元気をお戻しになってくださいませ。夫が言っておりました。目先で考えれば、死はとても哀しく、辛いものですが、広い目で思えば、死はある意味、全ての始まりなのです、人は死してこそ転生し、必ず愛する人の元に戻ってくるのです、と。ですから、私は最近、エト様はどこかで生きている。そう思っておりますの。それに、いつか私も天に旅立てば、会えますわ。長い時を生きるディードリット様にはとてもお辛いかもしれませんが、いつの日か悲しみを乗り越えられる日がやってきます。それを、信じませんこと?」
 ディードリットはきっと幾度も流したことだろう涙を頬に零し、こくんこくんと、何度も頷いた。
「はい…フィアンナ殿下」
 フィアンナは笑って人差し指を唇の前に翳した。
「ディードリット様。私はもう、殿下でも何でもありません。城下で暮らすただの女ですわ。その殿下と敬語だけはおよしになって。これからゆっくりと、お友達になっていきましょう。たまには寂しさや愚痴をこぼして、ね」
 彼女の手を強引にとって、フィアンナはぎゅっと握手を交わした。
「ところで、あなたのお名前は?」
 もう一人のエルフは、優雅に一礼をした。
「エレナと申します、フィアンナ様。今は彼女の保護者代わりになっております」
 フィアンナも腰を屈めることでそれに応じ、二人の手を取って歩き始めた。何故か元気になったのは、同じ境遇の友を得たからだろうか。それとも、ようやく前を向いて歩けるようになったからだろうか。
 どちらでもいい。全てのことに理由をつけるのはとても大変でつまらないことだ、そう言ってエトがよく笑っていた。
 本当ですね、エト様。
「では、エレナ様、ディードリット様。共に参りましょう。私のおうちに来てくださいまし。パーン様がいらっしゃった頃に描かせた肖像画が飾ってありますのよ。もちろん、エト様のものも」
「あの…」
「その前に、パーン様のお墓に寄ってね。そうそう、私昨日夢を見ましたのよ。エト様とパーン様が笑い合いながら走っていらっしゃいますの。それをエルモアが叱って、けれどエト様ったら聞き耳を持たなくて、ついには父にぶつかりましたの。それをニース様たちがお笑いになって…とても楽しそうでしたわ。私、とても安心しましたのよ」
 ディードリットがはじめて、笑った。
「その夢のお話…もっと聞かせてください」
 フィアンナもにっこりと笑った。
「ええ、もちろん」


 少し小走りにロイドへと去っていく三人を、丘の上で見届けるものがいた。
 決して聞こえぬ声を交し合い、少し、笑った。
 やがて“彼ら”は二筋の光となり、天へと戻っていった。


 後に、フィアンナの語った夢の話は、エトとパーンの伝記に書き加えられたという。


 エトノアが最初に放った言葉が「エトサマ」であったことは、蛇足である。


 最後はちょっと爽やかっぽく終わらせました。さ、この後はあしゃらなーたさんとレンさんに送る小説が待っています。今何よりも思うこと…


一日36時間くれー!!


 お後がよろしいようで。