
ゴミ出しをして、浜を歩いているとガラスの浮き球が落ちていた。
※ビーチコマーはSNSで「浮き球はこのように私を待っていた」と表現している。
岩にぶつかったりして割れることなく、長い年月と距離を漂って、三宅島に到着した。
この「出会いの確率」を頭のいい人たちはどのように計算するのだろう。
最近、島の未来のために、2つの事について考えている。
1つは、単純な事(仕事)をどうやったら、緻密にできるのか。
簡単でシンプルな事こそ、丁寧によりこだわって熱心に取り組むべきで、
小さなことをおろそかにするやつに、大きな仕事はできない。
更に普段からミスばっかり繰り返すのは集中力が足りない。
大人になってから集中力が飛躍的に伸びた人を見たことがない。
いい加減に、流れ作業的にやられると、そこに成長はないと思う。
2つめは、どうやったら緊張感のある場をつくりだせるか。
大勢の前で話をするとか、発表するとか、大きな試合に出るとか、
メディアの取材を受けて、自分の言葉で語り、たくさんの目に触れるとか、
一発勝負の場面とか、そういう「緊張感のある場」を意図的に作り出す。
いくら練習でできても、本番で結果を残せないなんてことがよくあるし、
そういう緊張感を経験しないと、人間は成長できない。
この2つを実践する場を意図的につくる事で、
将来的な選択肢が増やせると思っている。
何をやっても活きてくる素材、ポテンシャルの高い人は伸びる。
逆にポテンシャルが低い人にどれだけ与えても、あまり伸びない。
この2つは幼少期に意図的に獲得できることなのだから、そうしたい。
三宅島の子供たちに、自分が本当にやりたいことを選び、
そこで活躍してほしい。ゆるゆるとのんびりやってたら結果は出せない。
必ず努力は結果として表れるし、スピード感があればもっと良い。
結果が出ないのは、努力が足りないか、やり方が間違っている。
ただそれだけ。結果を出してこそ、世の中では認められる。
よく「あんなものがなぜ売れるのか理解できないと」言う人がいるが、
「売れている」には理由があるし、見えないところのコダワリや努力、
多くの人から支持されていることを理解しなければいけない。
文句を言うのは、結果が出せない人の僻(ひが)みでしかない。
文句を言いながら、やりたくない事をダラダラやっているなら、
絶対に良い結果は出ないのでやめたほうが良い。時間の無駄だから。

先日、ある方から、今年は噴火から20年という事で、
いろいろな方の意見を聞いているということで、少しだけ話をした。
その前に2010年の噴火から10年の時はどうだったのだろうか?と思って、
ブログをさかのぼって読んでみた。
結果から言うと、10年前には議員ではなかったし、
沖倉商店はカフェではなかったけど、何かを変えたい!という事で、
具体的な事も含め、悶々としていた日々がブログには綴られていた。
一方で、山野井さんが島に来たり、廃校の体育館をクライミング施設にする話、
3回目のエコライドやレディースランなどの準備もしていたので、
新聞各紙から取材も受けてメディアにだいぶ露出されていた。
ただ直後の2010年12月にはクライミングを切り開いた友人が他界したり、
2011年3月11日に東日本大震災があったり、父が脳挫傷で長期入院、
2012年には村長が変わったり、沖倉商店をカフェに業態変更したりと、
大きく世の中も三宅島も沖倉商店も変化したタイミングだったことはよく覚えている。
なにか似ていませんか?
今年はコロナウイルス感染症の影響で生活環境が変化し、東京オリンピックも延期、
安倍総理が辞任など、世の中が大きく変化している最中でこの先はまだまだ読めない。
「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、
がっかりするほど見ていなくはない」という長いタイトルの本の中で、
「今日と違う明日を生きろ」という章がある。
そこには、「現状維持は楽だ。人は今日と同じ明日に、心地よさを感じる。
今日と違うと不安になる。あるいは慣れていないために面倒だと思う。
今日と違う明日を迎えない限り、人は新しい景色に出会えない。
日々新しい景色に出会い続けることが、生きるという事だ。
まだ一度も見たことがない原色があるよと人に言われたら、
なんとしても見に行きたいと思う。
常に変化を求め、新しいものを欲するのは人間だけに与えられた能力
原状に妥協して心地よい毎日を重ねていく事は、何もしないのと同じである。
流されて日々を過ごすことは、何より人を堕落させる。
仕事でも人生でも、勇気を持って1つ何かを壊すことは、着実な前進である。
どんな小さなことでも、やるかやらないかで5年後は大きな差がでる。」
10年前の新聞記事のラストにかかれていた自分のコメント
豊かな島の自然を発信し続けること。そして父の命日と同じ日付の新聞でびっくりした。
2010年8月6日の東京新聞(この6年後に親父は他界)

2010年8月30日の読売新聞

結局のところ、10年経った今も変わらず、新しい原色を見たいと思い日々変化を求めている。

過去に数回、「あの人はヤバい」と言われたことがある。
それは評価として「思考・実行が想像以上」ということの意味で、
本当に「ヤバい」というわけではない。笑
人は真剣に物事に取り組む時に「ゾーン」にはいる時がある。
オリンピック選手とか世界のトップレベルには2段階のゾーンがあるらしく
ギアが入る(目つきが変わる)ゾーンと自分が幽体離脱しているような
上から自分を俯瞰して見ているような、空気や時間が止まる瞬間、
全てが見えているようなスーパーゾーン。
かつて野球選手も「ボールが止まって見える」などといった
通常では理解できないシーンを語ることがある。
それがある数パーセントの人たちには起こっているスーパーゾーンだ。
自分自身でそれが分析できているわけではなく、それは他人から
「あの時はヤバかったですね」と言われて、そういえば、
「時間が止まって見えた」とか「自分を空から俯瞰して見えてた」とか
後になってわかることなのだ。
自分の「ヤバい瞬間」をここで語るのはアホらしい。
今回のタイトルにあるように、自分が「これはヤバい」って思っても
周りからそんなに評価されないとか、一生懸命アプローチしてもメディアには、
「それはトピックス性に欠ける」とか言われたこともあり、評価には相違がある。
とにかく何度か経験してきた「ヤバい瞬間」は「虹の匂い」と一緒で、
ある程度予測できるようになったので、これから先が楽しみでしょうがない。
写真は昨日完成したマッコウクジラのスカル(頭骨)から彫った作品
一生懸命取り組んでいる「ボーンカービング」は深すぎて「匂い」がまだない。笑
でもインスタグラムにアップした時の反応は顕著で、誰もやらないような形には、
外国人や普段反応しないような層の「いいね」がつく。
ここ三宅島では特に「逆張りの美学」が成立する。
これは2006年にナチュラルダイ(自然染め)のTシャツや手ぬぐいをやったり
2008年にエコライドをやったり、2010年にクライミングをはじめたり、
2012年にカフェをやったり、2016年に村議に立候補した時から、
毎回、ずっと感じたことなので、間違いないのだ。
結局、人は成長したいし、評価されたい、でも思い通りにならない事がほとんどで
それでも何でやっているかと言ったら、単純に自分の魂が気持ち良いからなんだと思う。
追記
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サイバーエージェントの藤田さんと幻冬舎の見城さんの本に、
「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」
というのがあるが、まさにそんな感覚である。
話は飛んでしまうが、今年も庭にGMOインターネットの熊谷さんのクルーザーや
観月ありささんの旦那さんの会社の100フィート近いクルーザーがあった。
あれを見ると、単純にすごいなぁと思うし、目の前で動いているお金の匂いがする。
一方で、昨日ツイッターにアップした、
情熱大陸の「5年待ちのランプを作る」別所由加さんのように
ひたすらコツコツとモノづくりをしながら、ひっそりと結果を追求している人もいる。
煌びやかじゃないけど、こっちのほうがぐっとくる。
もちろんどちらも「努力なくして成功なし」に準ずる方たちなんだろうけど、
熱い思いしか突き抜けないのだと思う。
