空に輝く星のように | ethlinの煩悩毛だらけ

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煩悩さらけ出し日記

9月ももうすぐ半ばを迎えますね。


時間が経つのは本当に早い。


日々いろんな事を考え、頭の中でまとめて解決した頃には、また新しい種が心の中に舞い込んで来る。


人と話す事を楽しいと思う。


と同時に


人と話す事はいささか疲れると思う。


顔も表情も口調も全部見えているのに、文のやりとりだけで意思疎通するよりも難しいと感じるのは何でだろう。


どうして私はあの人に、優しい言葉を一つもかけてあげられないのだろう。


最初の疑問の答えはたぶん『人は人の話を聞いていない』からで


二番目の質問の答えは『情けは人のためならず』です。


『情けは人のためならず』の意味は


情けは人のためでなく、いずれ自分に返ってくるのだから、誰にでも親切にしておくほうがいい


です。


が!


私はこの解釈は少し違うと思う。


親切とは損得のためにする事じゃない。


自分がそうしたいと思うからする。


要するに自己満足な行動です。


でも、その自己満足で起こした行動は、いつか必ず返ってくる。


挨拶をすれば挨拶が返り


誰かに手を伸ばせば、自分が困っている時に必ず誰かが手を伸ばしてくれる。


それに気づき感謝を繰り返す事により、やっぱり親切は自分の元に返ってくる。


挨拶する事も感謝する事も、ごく当たり前で本当に些細な事なんだけれども、忘れてはいけない大切な事。


もっと簡単に


そして辛辣な言い方をすれば


他人に優しく出来ない人は、誰からも優しくされない


あの人を見ていてそう思った。


それでもあの人は、誰かに優しい言葉をかけてもらえる事を望んでいるのかと思ったら、なんだかかわいそうに思えた。


『人がいい=優しい』ではない


優しさとは時に厳しさを垣間見せるもの。


あぁ…あの人とは、職場の人の事です。


あの人は『愚か』だと思い、あの人を『愚か』と思う自分は人でなしだと思う。


どちらが人間としてマシなのかと考え始めると、決まって胃が痛くなるからもうこの話は止めにしよう。












まぁこんなような事ばかり考えていたら頭の中が整理しきれなくなって、ぼんやりとしてしまいました。


ふと、以前ある人の言われた言葉を思い出し、ベランダの窓を開け秋の空気を体の中に取り込み、月を見上げました。


昨日の月は明るく、模様さえも肉眼で見えるのではないかと思うくらい、はっきりと光り輝いていました。


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ただ、何故かその月が霞んで見えて、私は何度も目を凝らしながら眺めていました。


今の私には、月の光は眩しすぎるのかもしれない。


ブログネタで『月と太陽どっちに例えられた方が嬉しい?』みたいなネタがありましたね。


あれ、書こうと思ったけど、下書き保存したままの記事が溜まっていたから『いいや』と書かなかった。


答えもはっきりしてなかったし。


でも、今なら答えはわかる。


私は太陽のように暖かく人を包み込む事も


月明かりのように、人をそっと照らす事も望んではいない。




あの空に昇るのなら


小さな星になりたい


誰かに見えなくてもいい


例えこの光が届かなくても


星が空にあることは変わらない


そしていつか空を見上げた時


私の大切な人が空を見上げた時


それがわずかな光だとしても


それがわずかな希望だとしても


道を迷うことのないように


未来を示す小さな光になれたらいい


星は命ある限り輝き続ける


何年何十年何百年かかっても


星の光はアナタの元へ届くから


この想いがずっと消えないように


胸の中の星も…ずっと輝き続けるから


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どうでもいい追記


月を眺めるためにベランダの窓を開け、すのこを巻き上げたところまではいいけれど、巻き上げるための紐を力任せにひっぱっていたら


すのこ外れる→引っ掛け直すために背伸びする→まったく届かない→脚立に乗り引っ掛ける→改めてすのこを巻き上げる→外れる→脚立に乗って引っ掛け直す→すのこを巻き上げる→外れるメビウスの輪


の繰り返し冷や汗


昨日は久しぶりに蒸し暑い夜で汗ばんでくるしサー・・・・ッ、気分転換が何故かちょっとした重労働になりました。