五月五日、今日は端午の節句だ。
姉さまの鯉のぼりは、あの後も誰の手に渡るでもなく、今日も元気に副長室にいた。
時折吹く温かな風に乗り、パタパタと元気よく泳いでみせる。
(もうお節句当日なのに、渡さなくていいのかな?)
真相を聞きだしたいところだが、土方さんは私が鯉のぼりを欲しがっている事も、その理由もわかっている。
(聞きにくい。遠巻きに『それが欲しい』って言ってるも同然だし。)
横目にチラチラと眺めつつ、口から漏れるため息をしきりに飲み込んだ。

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一通りの雑用が終わり、私は副長室へと向かっていた。
反対側から斎藤さんが歩いてくる。
ダンダラ模様の隊服を着ているところを見ると、今から巡察に出かけるのだろう。
「斎藤さん、お仕事おつかれさまです。」
「あぁ…あんたか。今から副長室へ向かうのか?そうであれば副長から伝言を預かっている。『美味い茶を二つ頼む』だそうだ。」
『美味い茶を頼む』は来客あり、『濃い目を二つ持ってこい』は仕事が忙しいから眠気覚まし用にお前の分も持ってこい、の意味だ。
「お客様がいらっしゃるのですね?」
「いや…そんな様子はなかったが。」
「えっ…じゃあ…もっ…もしかして…。」
(『仕事の前に美味い菓子を食わせてやる』の方かな?)
「おそらくあんたの予想通りだろう。」
お菓子の事を考えてよっぽど顔がにやけていたのだろうか、斎藤さんは笑いを堪えながら言葉を続ける。
「それよりも…左之の細君が作った鯉のぼりだが…他の者の手に渡らずにすんだな。あんたには珍しく、欲しい欲しいとかなり粘っていたと…左之助から聞いた。安心したであろう?」
「でも、あれは頼まれ物と聞いています。きっと土方さんのお知り合いの方のお子様に差し上げるのでしょう。」
「確かに知り合いの子供…と言えなくもないが…いや、止めておこう。すぐにわかる事だ。」
「?」
斎藤さんは軽く手を上げ、その場を立ち去った。

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「失礼します。」
「入れ。」
短い返事を確認して、私は静かに副長室へと足を踏み入れる。
姉さまの鯉のぼりは相変わらず土方さんの部屋にいた。
チラリと部屋中に視線を巡らせて見たが、来客がある様子は見受けられない。
「お前の想像通りだ。仕事の前に美味い菓子を食わせてやる。」
「なんでわかったんですか?」
「でっかく顔に書いてある。」
恥かしさで顔が熱くなるのがわかる。
私は苦笑いをしながら、土方さんが差し出した座布団に座った。
「ethlin、今日は何の日だ?」
「土方さんがお生まれになった日ですよね。」
「それもあるが…俺が生まれた日だからって、美味い菓子が出てくるわけねぇだろ。」
「お節句です。端午の節句です。」
「端午の節句と言えば?」
「えっと…ちまき。でも土方さんなら柏餅の方が馴染み深いかな。」
「あたりだ。」
目の前に柏餅が二つ現れた。
「美味しそう~。いただきます!」
私はさっそく柏餅を一口かじった。
「ん!美味しい…あれ?」
(この餡の味…知ってる。)
「気がついたか?」
土方さんは意味深な顔でニヤニヤと笑っている。
「気がついたというよりも…いつものお菓子屋さんの味ではないような…。」
(でも…この味知ってる。)
「菓子だから菓子屋が作ったとは限らねぇだろ?」
(という事は…手作り。島田さん…じゃない。島田さんならわざわざこんな聞き方してこないもん。)
「なんだ、わからねぇのか?」
そう言いながら土方さんは姉さまの鯉のぼりに手を伸ばした。
「まさか…。」
「そうだ。お前の姉さんが作ったんだ。今日鯉のぼりの礼を言いに行ったら手渡された。『あのかわいらしい小姓さんと召し上がってください。』だと。」
そして鯉のぼりを私の目の前に置いた。
「これはお前にやるために作ってもらったもんだ。それが外出から帰ったら、お前も含めて大勢で取っ組み合いの取り合いしてやがるしよ。あの場でお前のもんだと言えなくてな…。当日になっちまったが…受け取れ。」
「どうして鯉のぼりなんですか?」
「そりゃ…ここで桃の節句を祝うわけにはいかねぇだろ。」
「そうですけど。」
土方さんは鯉のぼりを私の目の前に突き出し、こう問うた。
「この鯉はどこへ向かっている。」
「えっと、空の向こう…ですか?」
「そうだ。じゃあ、この鯉は空を登りきったら何になる?」
「鯉は鯉のままです。どんなにがんばっても鯛にはなれません。」
「違うな。」
「何が違うのですか?」
質問の意味がわからず怪訝な顔をしていると、土方さんは私の目を真っ直ぐに見てこう言った。
「この鯉はな…天高く登りつめたら『竜』になるんだ。」
「竜…ですか?」
ますます私と鯉のぼりの関係がわからない。
「中国の故事成語の中に『竜門』という話がある。竜門と呼ばれる滝を数多くの魚が登るって話だ。その魚の中で、唯一滝を登りきる事が出来たのがこの鯉だ。そして鯉は竜になり、天高く舞い上がっていった。」
「わぁ~土方さんみたいですね。」
興奮気味に答えると、土方さんは私に優しく笑いかける。
「そうだ。俺は今よりもっと前を上を目指していく。じゃないと近藤さんをもっと上へ上へ、高いところへ押し上げられねぇしな。」
「はい!」
(そんな土方さんだから、私はついて行きたいと思ったんだ。)
「お前は俺の背中を追いかけたいんだろ?」
改めて本人からそう言われると、なんだか照れるし答えに困ってしまう。
しかし、私の中に答えは一つしかない。
「はい!」
「だったら…。」
土方さんは私の手に鯉のぼりを握らせた。
「お前はこの鯉にしがみついて必死について来い。お前が自分でそう決めたのなら、絶対に諦めないと言うのなら…いずれ竜になるこの鯉の背に乗って、俺を追いかけろ。」
「いいの…ですか?」
「勝手について来い。その代わり俺は待たない。お前が背中から振り落とされても、絶対に助けはしないし振り返らないからな。」
涙が溢れそうになる。
でも泣いたらまた怒られてしまう。
「泣くな。気合で引っ込めろ。」
「は…い…。」
歯を食いしばりながら鯉のぼりを強く握りしめた。
姉さまの鯉のぼりが私に力を貸してくれる。
土方さんの言葉が私の背中を押してくれる。
どこまで追いかけられるのかわからない。
それでも…
この鯉と一緒なら、私はどこまでも行ける気がした。

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「ethlinちゃん。」
部屋の前で夜風にあたりながら鯉のぼりを掲げていると、沙雪ちゃんが近づいてきた。
「あれ?一人?珍しいね。そっか…今晩は沖田さんの一番隊が夜の巡察だったね。」
「うん。気分転換に部屋を出たら姿が見えたから。その鯉のぼり…もらえたの?」
「うん。あのね…。」
私は沙雪ちゃんに全てを打ち明けた。
鯉のぼりがどうしても欲しかった理由も、土方さんが姉さまに頼んで作ってもらった事も。
「そうか…そうなんだ。原田さんの奥様はethlinちゃんのお姉さんなんだ。あんな勝ち目のない勝負まで欲しがるからよっぽどな理由だと思ったけど…でもよかったね。ちゃんと土方さんの手から渡してもらって。」
「うん。」
「大切にしなきゃね。」
「うん。」
「きっと追いつける。その鯉の背に乗れば、ethlinちゃんはどこまでも行ける。土方さんがどんなに遠くに行ってしまっても…絶対に傍にいられるよ。」
「沙雪ちゃんも!」
私は沙雪ちゃんの手に鯉のぼりを握らせた。
「沙雪ちゃんも沖田さんとどこまでも行けるよ。離れ離れになる時もあるかもだけど…ずっと…ずっと一緒にいられるから。」
私達は手を重ね合わせ、鯉のぼりを高くかざした。
鯉のぼりは夜風を受けて悠々と泳ぐ。
私と沙雪ちゃんの想いを乗せて空へ行く。
いつか竜の姿になり、どこまでも登って行く。
空の向こうまで…。
遠い遠い…宙の向こうまで…。