Staff Roomは薄くドアが開いていた。
中から歳三さんと山南さんがの話し声が聞こえる。
(お仕事のお話かな?)
ドアをノックしようと手を上げた瞬間、私の耳に『みちる』の三文字が飛び込み、思わず手が止まる。
心臓がドキドキしてきた。
顔が熱く、鼓動が中の二人に聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい、早鐘のように脈打っている。
「いずれはあいつの耳に入ることだ。他の奴らの口から耳に入るなら…俺の口からきちんと伝えたい…」
「しかし急に話を切り出しては、彼女はひどく動揺するでしょう」
「あいつは…どこまで気がついているかわからねぇが…おそらくみちるが病院に入院している事を知っている。俺が何度か会いに行っていることも…気がついているだろうな…」
嫌な汗が背中を流れ、立ち去ろうと思うものの足が動かない。
「おめでたい話のハズですが…私の胸中は非常に複雑です…。私はみちるの事を本当の妹のように思い、かわいがってきた。その気持ちは今も変わらない。そしてethlin君の事も…私は大切に思っています。それは土方君…いえ…歳…君も同じだ。君は…君は私以上に…彼女を大切に思っている。それなのに…なぜ…今…彼女と出会ってしまった今なんでしょうね。君とみちるが一度失ってしまった小さな命が…なぜ今…再びみちるに宿ったのでしょう」
心臓がねじ切られるように軋んだ。
頭の中が真っ白になって、今耳にした言葉の意味がよく理解出来ない。
(みちるさんに赤ちゃんが出来たって…事?なんで?どうして?それに失った命って…前にも二人には赤ちゃんがいたのに死んじゃったって事…なの…)
知りたくなかった
聞きたくなかった
気がつきたくなかった
何も知らなければ、私は幸せなままでいられたのに…
泣く事も叫ぶ事も出来ず、私はドアの前で立ち尽くしていた。
沖田さんは知っていたんだ。
みちるさんに歳三さんの赤ちゃんが出来た事も、今ここで山南さんと歳三さんがその話をしている事も。
だから沖田さんはこの話を私に聞かせるために、わざとStaff Roomへ向かわせたんだ。
今私の心の中に渦巻く感情がいったい何なのか、もう自分ではわからなかった。
不安 恐怖 憎悪 嫉妬 そして悲しみ…
私の心は壊れてしまいそうだ。
ずっと隠してきた黒いモノが吐き出てしまいそうだ。
私は心を支配された負の感情を持て余しながら、とにかくこの場を離れようと踵を返した。
その瞬間…
カシャッ
開けっ放しだったリュックのポケットから携帯電話が落ちた。
「誰かいるのか?」
慌てて携帯電話を拾い上げ、立ち上がろうと顔を上げると部屋から出てきた歳三さんと目が合った。
ひどく驚いた顔で私を見つめている。
私がどんな顔をしていたのかは、自分ではもうわからない。
私はこれ以上何も聞きたくなかった。
言い訳など聞けば、私は歳三さんを傷つけてしまう。
酷く歪んだ顔で罵声を浴びせ、歳三さんを傷つけてしまう。
そんな見苦しく、醜い姿の私を見られるのは嫌だ。
涙が込み上がるのを我慢して、私は黙って背中を向けて走り出した。
店内に出ると沖田さんの背中が見えた。
ふっと振り向き、馬鹿にしたようにクスっと笑った。
「土方さんいなかった?くすっ…今日はご馳走してもらわないんだ~?」
「沖田さん…おねぇが好きだから…だから私に意地悪するんですか?おねぇと私は仲がいいから…だから…あんな意地悪するんですか?」
「あんな意地悪?アハハ…もしかして聞いちゃったの?クスクス…」
小馬鹿にしたように笑う沖田さんがこんなにも憎いなんて…私は初めて知った。
「しかたないでしょ?事実なんだから…」
私はこの人に憎まれているんだと…今やっと気がついた。
この人が私に向ける感情が何なのか…今やっと気がついた。
「僕は君のおねぇさんが好きなんだ。だから…君を見るとむかついてイライラする…おねぇ…おねぇ…子供みたいに…おねぇさんにベッタリで…君みたいな子供…土方さんが本気で相手すると思ったの?自惚れないでよ!君に何が解るの!?妹ってだけで…大切にされて…」
それは今の自分と同じだ。
今目の前にいるのは…私自身だ。
私の中の黒いモノが…嫉妬心が私を責める。
お前は汚れた花だと…
人に愛される資格などない汚れた花だと…
誰もお前を本気で愛するわけなどないのだと…
私の目から涙が溢れそうになったせいなのかはわからないけれど、沖田さんの顔が一瞬…悲しそうに歪んだ気がした。
私はもうその場に立ちつくす事さえ出来なかった。
ここから立ち去りたい気持ちでいっぱいになった私は、黙ってお花屋さんを飛び出した。
途中誰かにぶつかって声をかけられたけれど、そんな事はどうでもいい。
お店を出て全速力で走り去るうちに、わき腹が痛み出し立ち止まる。
ただ立っている事さえも辛くて、私は歩道にしゃがみ込み顔を伏せた。
涙が溢れ、獣のような嗚咽が漏れる。
もう何もわからない。
でもたった一つだけ
たった一つだけはっきりとわかる事がある。
私の涙を拭ってくれる人は…もう私の傍にはいない。
どれだけ泣いても、泣きつくしても…もう誰も…涙を拭ってはくれない。
どうやって家に帰ったのか、よく憶えていない。
お母さんに「お腹が痛いからご飯はいらない」とだけ言って部屋に閉じこもった。
泣いて帰ってきたから、きっとおかしいと思っているだろう。
でも今は、誰とも顔を合わせたくないし、しゃべりたくもない。
もう何も考えたくなかった。
自分が生きる意味さえ…わからなくなっていた。
出会わなければよかった
好きにならなければよかった
そうすればこんなにも苦しくて辛い感情を抱える事もなかったのに。
「どうして私に優しくしたの?好きになってもらえないなら…優しくしてして欲しくなかった。傍にいられないのなら…いっそ…いっそ!最初から突き放してくれればよかったのに!!」
突然携帯から電話の着信を知らせるメロディが流れた。
おねぇからだ。
(こんな時間になんで…。お母さんが様子がおかしいって言ったのかな。でも今電話に出ればおねぇに私の様子がおかしい事を感づかれてしまう…。おねぇに知られたくないし、心配かけたくない…それにおねぇが知れば、絶対に歳三さんのところに乗り込んでいく。そしたら…みちるさんの事もおねぇに知られてしまう。全てを知れば、おねぇは絶対に歳三さんを許さない…どうしよう…)
躊躇しているうちに電話が切れた。
少し間を置いてから、再びおねぇからの電話のコールが鳴った。
私は震えそうな声を押し殺し、着信ボタンを押した。
「もしもし…おねぇ?」
「ethlin?どうした?なんかあった?」
「なんで?」
「お母さんから電話あった。泣いて帰って来たって言うし…ちょっと気になってかけただけ」
「ごめん…お腹が痛くて…頭も…」
「そっか…ごめんね、休んでる時に。んじゃ、またメールするし」
上手く誤魔化せたかはわからないが、おねぇはそれ以上何も聞かなかった。
お布団に潜り込み、私は強く目を瞑る。
眠っても何も変わらない事はわかっている。
でも今は…息をする事も…意識がある事さえも辛い。
(消えてしまいたい…誰か…私を消し去って…誰か…私を…私を…いっそ…殺して…)
やがて意識が遠のいて行き、私は深い闇へと沈んでいった。