ゴールデンウィークもあっという間に終わろうとしている。

 

 

結局全く何も手に付かず...ま、こんなもんだよね。

 

 

でもまあ、手に付かないことを悔やんでるばかりでもね、ある程度は受け止めないとね。

 

 

ただ手をこまねいているばかりではさすがに精神衛生上よくないので、どうせ逃げるのなら少しでもましな方向へ逃げようということで、読書に逃げた。

 

 

先月クリストファー・ノーランの「オッペンハイマー」を観る前の予習として数年ぶりに本気の読書に耽ったことで、今更だけど読書の大切さ、いや楽しさかな、ホント今更だけど思い出したということもあってね、このゴールデンウィークは映画やテレビドラマに逃避するばかりではさすがにまずい、少しでも「前進」する感触が欲しいという下心もあって、ちょっとだけ読書。

 

 

まず3、4日前に山田太一さんの追悼特集を掲載した「ユリイカ」を少し読んで、それがちょっとノスタルジー交じりになってきたところでまずいなと思って中断...昨年末に買ったままほったらかしにしてた信田さよ子さんのエッセイ「家族と厄災」を読んだ。

 

 

10年くらい前に母と娘の関係性に興味を持ってその手の本を読み漁った時期があったんだけど、信田さよ子さんはいわゆるその第一人者...もうホント、久し振りにその名前を聞いて、思い立って買った本だったんだけどね、ほったらかしにしてしまっていた。

 

 

いつもの鋭い筆致で描かれていた家族関係、とりわけ母親とその娘の関係性をメインに綴られた論評なんだけど、この「家族と厄災」はコロナ過を経て変化した家族、その閉塞感がより加速した経緯が詳しく紹介されていて、実に興味深く拝読した。

 

 

DV、そして「毒母」...時代の変化に常にアンテナを張っていなければならない、その重要性に今更ながら気づかされ、猛省している。

 

 

 

そして昨日、今日に渡って読んだのが古典、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」だ。

 

 

2019年、その年末に映画を観に行った際に本屋で買って、久し振りに広島に帰省する新幹線の中で読んでたんだけどね、その時チラッと読んだだけで今の今までこれもまたほったらかし...それを今頃になって...何をやってんだか、まったくね。

 

 

 

いわゆる古典のメジャーな作品なんだけどね、恥ずかしながらこの歳になるまで読んでいなかった...そんなのばっかりなんだけどね。

 

 

内容は私ごときが解説するのも憚られる、いわば青春小説の古典的代表作ということなんだけどね、やはりそれこそ若い頃に読んでいなければならない、そんな内容だった。

 

 

口汚い表現や、それこそ男尊女卑な部分もあるんだけどね、ティーンの鬱屈した心理の機微を丁寧に綴った作品という趣きなんだけどね、今の時代に読んでみると高校を追い出されてしまった主人公ホールデン・コールフィールドの若さゆえの苦悩に感情移入できなくはないんだけど、そのブルジョアっぷりにいささか嫌悪感を抱いてしまって、それが少し雑音になって素直に物語にのめり込めなかったような気がする。

 

 

まあそれは私の卑屈で歪んだ僻みなんだろうけど、まあそれも含めていい歳になってしまっていたとしても、読まずにいるよりは全然ましではあったかなと。

 

 

ちなみに山田太一さんの「それぞれの秋」のあのナレーションはこの作品にインスパイアされたものらしく、しかもそれを倉本聰さんは「サリンジャーだな」と見破っていたそうだ。

 

 

もうね、とにかく読んでいない小説、観ていない映画があまりにも多すぎて、まさに後悔先に立たずなんだけどね、それでも開き直って人生は学び続けるしかない訳でね、これからも少しずつ「恥」を薄めていこうと思う。

 

 

...っとこのタイミングで広島の母から電話...

 

 

申し訳なさに苛まれ、同時に自分自身に奮起を促す。

 

 

さて...あと1日。

 

 

最後の最後に「とっかかり」を何とか...ね。