満を持して...「オッペンハイマー」。

 

先月に観た「デューン/砂の惑星PART2」に引き続いて、浮気を。

 

ユナイテッドシネマとしまえんではなく、グランドシネマサンシャイン池袋のIMAX Laser GT、しかも今回はたまったポイントを利用して「プレミアムクラス」という豪華な席で。

 

細かいことを言うと通常の料金の1900円にIMAXはプラス800円、そこで「プレミアムクラス」という豪華シートに座ると更にプラス1500円(その中に700円分の「ミールクーポン」といういわゆる食事券が含まれる)、それをすべて換算するとなんと4200円!! すごいことになっとります。

 

しかも池袋のIMAXにはその「プレミアムクラス」の更に上があって...その最上級シート「グランドクラス」となるとトータル5700円...あ、これに3Dが加わると更にプラス500円...もう映画鑑賞というよりも豪華アトラクションの域...映画ももはやブルジョアの娯楽ですね。

 

 

ええ、分ってますよ、私のような負け組が座るような座席じゃないんですよ、ブルジョアが座る席です、ええ、分ってます...でも2021年、同じクリストファー・ノーランの「TENET/テネット」で超巨大IMAXを初体験してから、長い年月をかけてそのIMAXの1.43:1で撮られた作品を観に行って少しずつ貯めたポイントをここぞというところで使いました。

 

先月の「デューン/砂の惑星PART2」で使ってもよかったんですけど、やはりそこは我慢...ノーランにつぎ込みました。

 

 

ていうかね、前置き長くなってますけど、日曜日の段階で会社に「平日のどっかで休みくれ~」と懇願したら「月曜日休んでいいよ~」というのだが「そんな直近じゃあチケット取れないよぅ」と駄々をこねたら「じゃあ金曜日も休んでいいよ~」ということになったので、その金曜日に絞ってチケット争奪戦を仕掛けることに。

 

 

でもその前にせっかく月曜日が休みということなら、もうこれはせっかく買っておいた原作本を読もう、ついこの前までは諦めかけていたんだけどやはり当初目論んでいた「読破してから観る」という野望に挑戦してみようかと、まず月曜日...それこそ寝食を忘れて、とまではいかないまでも、とにかく朝から寝るまでその寝食以外でひたすら読書...

 

 

何せね、クリストファー・ノーランの最新作にして3時間の超大作、しかもアカデミー賞を席巻...どうせ時間軸をガンガンいじって入り組んだ構造なんだろ、観客を混乱させる気満々なんだろ、それも伝記ものだし...もうこれは私にとっては掟破り、原作本を先に読んで、映画が「何を描くか」を堪能することは捨てて「どう描くか」に特化してこの作品に挑戦しようと。

 

 

もう読書なんてここ数年、全くしていない...それでも読めば読めるもので、その充実した読書の時間に満足していると、普段いかに罪深い怠惰な日々を過ごしていたことに改めて戦慄を覚えるというか、普段の生活でいかにダラダラと無駄な時間を過ごすことが多いのか、多かったのかということに気付かされた。

 

 

ていうかね、その原作本そのものが面白くてもう夢中になって、とにかくまあタイムリミットと闘いながら必死こいて読みふけった。

 

 

で、いざ劇場の金曜日の上映スケジュールが明らかになると、それまで1日に3回かけられていたIMAX版が、夜の1回のみになってて茫然...「マジかよ~」というね。

 

 

つまり金曜に封切られる「名探偵コナン」にIMAXが占拠されて...ていうかね、コナンはIMAXでかけるに値するのか...いや、劇場のビジネスからするとかけられる回数が全体で4回から6回になる訳でね、しょうがないんだけど、それにしてもというね。

 

 

という訳で普段は大体午後の回を観るんだけど、その目論みもあっさり崩れて...うぅぅ、19:00開始か...でも、今観ておかないと...うぅぅ...しょうがない、夜でもいいや。

 

 

で、チケット販売解禁の時間に即アクセス...うぅう、繋がらない...取れるのか...パソコンとスマホでアクセスしても繋がらない...としばらく頑張ってたら何とか繋がって、即「プレミアムクラス」のシートをゲット。

 

 

それでもど真ん中の席は撮れず、そのひとつ隣の席...でもまあほぼど真ん中、ほぼベストの席、これで「プレミアムクラス」初体験ができるぞ、大画面に飲み込まれるぞ...取れてとりあえず安ど。

 

 

ていうかね、原作本のボリュームが凄すぎて、月曜日の段階ではどう考えても間に合わないと思っていたけど、いざ寸暇を惜しんで必死こいて読む日々を過ごしていたら、何とか鑑賞当日、金曜日の午後に読破。

 

もう怒涛の読書週間でした...ていうかね、この原作本があまりにも面白かったというのもあってね、もう夢中になって読んだわけです。

 

しかも映画のチラシの裏の登場人物表と照らし合わせながら...とにかくあまりにも多すぎる登場人物の相関関係を一生懸命整理しながら、役者の顔を頭に刷り込みながらもう読んだ、読んだ。

 

ちなみにその原作本、元々は2007年に刊行されていた『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』を映画公開に合わせて文庫化、再刊したもので邦題も「オッペンハイマー」と簡略化されてた。

 

更にちなみに、原題は”AMERICAN PROMETHEUS: The Triumph and Tragedy of J.Robert Oppenheimer”。

 

書籍の世界でも、せっかくの深い原題がいざ邦題になると...もうこれはしょうがないんだけどね。

 

にしても必死こいて、そりゃもう夢中になって読みました...映画を観る当日まで...バカですね、私は。

 

 

文庫本3冊をイッキに読破した満足感に浸って、てか放心状態...いやいや本番は夜、池袋だぞ...それでも出かけるまでにゆとりがあったので、NHKで録画していたドキュメンタリー、オッペンハイマーを取り扱った「ザ・プロファイラー」と「映像の世紀バラフライエフェクト」の二編、そしてノーラン監督のインタビューが収録された「クローズアップ現代」をダダダーっと観た。

 

これでもう予習はばっちり...

 

にしても私のこの映画を観るためだけに発揮された狂気なまでのやる気...普段いかに怠惰な日々を過ごしてきたのか、そのやる気をいつも発揮しろよと自分に突っ込んでみたり。

 

 

自分でも呆れるけど、映画を1本鑑賞するためだけに、そんな怒涛の一週間をその映画を観る直前まで過ごしてきました。

 

 

...で、いざ本番、池袋へ。

 

改めて私はよくも悪くも「いいところ」に住んでるなと思う。

 

 

学生時代はそれこそ文芸座に足繁く通ってたんだけどね、最近は全く行かなくなっていた池袋...電車でチャチャチャ―っと30分もかからない、もうホントあっという間、改めてこんなに近いんだななあという。

 

 

という訳で東京に住んでる特権を使って、グランドシネマサンシャイン池袋、IMAX Laser GTで「オッペンハイマー」を観た...観たぞ!

 

にしてもね、相変わらず一極集中で観客が押し寄せてて、今回もまさに超満員...ここ以外は閑散としてるらしいけど...何だか複雑な心境。

 

 

今回は分不相応に前寄り側の「プレミアムシート」...普段味わえないゆったりリクライニングシート、ああ贅沢...700円分のミールチケットを利用してポテトフライとコーヒーを携えて、いざ大画面、1.43:1、IMAX Laser GT!

 

 

てかそもそもこの映画、本国アメリカをはじめ世界的には昨年の夏に公開された映画で、その内容の特性もあってか日本公開がなかなか決まらなかったいわく付きの作品...それでもひと足お先に海外に繰り出し、それこそフィルムIMAX上映も含めて堪能したり、一足早くリリースされた海外版Blu-rayをゲットしたりして「先行上映」を観たブルジョアな映画ファンを羨ましく思いながら、貧乏な私はじっと耐えてたわけでね、もうホント、ようやく観られる、その喜びったらもう...改めましてビターズ・エンドさんの英断に感謝。

 

 

映画ファンとしては、普段は映画に接する際は基本的にできるだけ「知らない」状態で作品に挑むというスタンスなんだけど、今回はちょっと特別...あのクリストファー・ノーラン監督だからね、これはもう「知ってる」状態で観た方がいいだろうという勝手な思い込みで原作本を読んだんだけど...もう、これが大正解。

 

 

時間軸を行ったりきたり、もう目まぐるしい編集の応酬、しかも今回は時間軸の行ったり来たりとはまた別にカラーとモノクロを巧みに使い分けるという複雑さ、事前にそうなることは聞き知ってはいたけれど、もし原作本に接していなかったら、頭の悪い私は間違いなく混乱し、物語に付いていけなかったと思う。

 

 

オッペンハイマーの主眼、その視点がこの作品のメインに据えられて、しかも時間軸を行ったり来たりするんだけど、それに加えてもうひとりの登場人物、ルイス・ストローズの視点で描かれるシーンはモノクロ、つまり作品の中の「今」がカラーで「過去」がモノクロという訳ではない。

 

 

ノーラン、相変わらず観客を悩ませるな、いい意味でだけどね、それにしても今回も観客を挑発するなと。

 

 

ただね、これ、原作を読んでいる私には、時間軸が行ったり来たりしても、ストローズ視点のモノクロシークエンスが差し挟まれても、もう嘘みたいに物語が体に沁み込んでくる...

 

ていうかね、この複雑なパズルみたいな編集ではあるけれど、シーンとシーンのつながりはとても密接で、ポイントとなるセリフや映像で、時間軸の行ったり来たりとは関係なく、映画としてちゃんと一歩、一歩物語が積み重なっているんだな、前に進んでいるんだなと、そういう意味でもその物語の丁寧かつ分かりやすい、緻密な語り口に感心した。

 

 

しかもこれまでのノーラン作品とは全く違うタイプの作品であることは間違いなくて、これまでにない地味な題材に挑戦、基本的にはいわゆるこれまでのアクション大作的なタイプとは一線を画する「会話劇」なんだけど、その編集の妙、それこそIMAXシークエンスの圧倒的な映像もあってそのアクセントの付け方、その落差の極大化がハンパなく進んでいくし、やはり根幹は役者の演技、まさになり切った演技、バチバチとぶつかるその熱気、アンサンブル...ノーランの新境地、なるほどなと。

 

その役者陣...オッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィーがカッコいいったらありゃしない。

 

本物のオッペンハイマーって見た目もそれなりにいい男なんだけど、どこか飄々としているというかね、それこそ「原爆の父」としてのほんの一部の側面しか知らない私にとってはどこか地味な印象があったんだけど、キリアン・マーフィーが演じるオッペンハイマーは、カリスマ性もうまく表現されていたし、原爆開発に突き進んでいくその颯爽とした感じ、とにかくカッコいいんだよね。

 

もちろん罪の意識に苛まれる弱い部分もしっかりと演じていて、これはもうアカデミー賞上げない訳ないはいかないでしょうというね。

 

モノクロシークエンスの「主役」だったルイス・ストローズを演じたロバート・ダウニー・Jrもまさに人間の業がほとばしり出る演技で、MCUのトニー・スタークとは全く違った一面を見事に表現していたように思うが、やはりあくまでも助演でね、オスカーをゲットしたとはいえやはりキリアン・マーフィ―のあの演技の影に隠れてしまった、かな?

 

妻のキティを演じたエミリー・ブラントも「恋人」のジーン・タトロックを演じたフローレンス・ピューもそれぞれ熱演、共にひと癖もふた癖もあるキャラを卒なく演じていたように思う。

 

少し物足りなかったのは、ここ数年の研究で実は広島・長崎の原爆投下における「首謀者」なのではないかという説もあるレスリー・グローヴス、その軍人としての描き方どこかステレオタイプで、その「首謀者」という側面や軍人としての非情さが全く描かれなかったことと、トルーマン大統領の悪辣さもどこかこれまでの定番以上ではなく物足りない...演じていたマット・デイモンもゲイリー・オールドマンも巧いんだけどね。

 

その他はもう、多すぎて...でもみんなそれぞれいい味出してました。

 

 

 

原作本の旧題名にある「栄光と挫折」という文言に表現されているように、この作品はオッペンハイマーという物理学者がいかに「原爆の父」と呼ばれ、国民の英雄として持てはやされるようになっていくか、更には英雄になったあとのその罪に苛まれる苦悩、赤狩りの犠牲になっていく過程、その怒涛の人生を描いてる訳で、彼の出世物語としてのカタルシスもあるし、それこそ原爆がいかにしてできるのか、あの有名な「マンハッタン計画」のその過程をじっくり描いていくという意味でも一応は「エンタメ」してもいる。

 

 

観てて恐ろしかったのはその原爆が完成するクライマックス、いわゆる「トリニティ実験」の成功するシーン、まさに世界が一変するその瞬間...音と映像の洪水で容赦なく表現してたこともさることながら、そのクライマックスに至る過程をどこかワクワクしながら観ていた自分にふと気付いたこと、...映画そのものの恐ろしさもだが、そんな自分にハッとしたこと、それが一番怖かったように思う。

 

でもさすがにその「トリニティ実験」の爆発、爆音の映像に包まれた時の恐ろしさは言葉で言い表せない...そこまで少しワクワクしていた私のその後ろめたさもイッキに吹っ飛んで、その世界が一変してしまった瞬間、その恐ろしさが私の身体全体に襲い掛かり、少し涙が出てしまった。

 

 

あとはオッペンハイマーがその犯した大罪に苦悩するシークエンスに移行していく訳だけど、広島、長崎の惨状は全く映像になっていないし、あくまでもオッペンハイマーの視点で描かれる物語に徹していたことに関しては複雑な気持ちがないではない。

 

 

でもそこは観る前から描かれないことは分かってて、それによって賛否渦巻いていることは承知していたし、日本人の私、広島出身の私としても不満はあるものの致し方ないのかなと思う。

 

いずれにしてもとにかく中身の濃い、怒涛の3時間、まさにあっという間の3時間だった。

 

でも原作本を読んでいた私には、広島、長崎の惨状を描いていないこと以上に、オッペンハイマーの苦悩の描き方がこれでもなんか物足りない。

 

 

そりゃあ長い原作を映像化するに当たってはいかに巧みに省略し、いかに物語のエッセンスを抽出するかがキモなのはよく分かってるし、それを3時間に凝縮したノーランの手腕には脱帽する。

 

 

それでも...オッペンハイマーよ、もっと苦悩しろ、もっとその犯した罪に苛まれろと思ってしまった私...広島出身であることを改めて痛感した。

 

 

前にも言ったと思うけど、私の両親はともに山口県に出自があって、いわゆる被爆者、あるいは被爆二世、三世がいるという家系では全くないんだけど、私自身は生まれも育ちも広島で、子供の頃から「平和教育」で原爆の恐ろしさを叩き込まれ、常に原爆ドームと共に過ごしていた訳でね、そりゃあ言いたいことは山ほどある訳です。

 

 

それでもオッペンハイマーの苦悩、アメリカが原爆を作ってしまった理由、必然性、あの時歴史がどう転んでも原爆は誕生してしまっていただろうことは、この映画を通して改めて理解したし、今ある現実を改めて受け止めなければならないなとも思う。

 

 

にしてもだよ、ナチスより先に原爆を作らなきゃというアメリカの「必然」は、そのナチスの降伏によって雲散霧消したはずだったのに、原爆の開発そのものは止められなくて、しかも広島と長崎に投下するその「理由付け」にはいまだに納得できないし、それに歓喜したアメリカ、アメリカ市民、いまだに続く核抑止論、核保有国の傲慢、メインの「マンハッタン計画」とは別の「赤狩り」という黒歴史が充分に描かれていないなどなど、いろんな現状も含めて全く納得できない訳でね、映画として充分に堪能した後でもやはりどこかモヤモヤするし、核兵器が存在し続けてきた世界がいつまで続くのだろうかという不安は消えない訳です。

 

そういう意味でも、いろんな意味で「甘い」映画であることは間違いない。

 

それでも「原爆の父」と呼ばれた天才物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーの伝記ものとして、映画としてとてつもない作品であることもまた間違いない。

 

 

この映画をきっかけとして、核兵器の恐ろしさを少しでも多くの人に知ってもらいたいし、そういう意味でも映画作品としての完成度を堪能するという意味でも必見の作品であると思う。

 

 

でも、問題は更にこの先...やはり核兵器廃絶が完遂するまでが、人類に課せられた最大の使命だ。

 

 

「オッペンハイマー」...名作です。

 

 

劇場で、IMAXで、できれば池袋で是非。