日曜日。

 

 

なかなかどうもね、疲労の蓄積が...ま、歳も歳だしね、しょうがないんだけどね。

 

 

いや、それだけでもないんだけど、例の「悪あがき」にまつわる罪悪感というか、後悔の念というか...結局20代から、大学生の頃から私は全く成長していないんだなという、もうその恥ずかしさに押しつぶされそうな...ま、結局自己憐憫に浸ってるだけの小さな人間なんだなというね。

 

 

その弱さを受け入れる度量さえもなく...ただ惰眠を貪る日々。

 

 

...ってもういいか、そういうのは。

 

 

日曜日。

 

 

久し振りに映画を。

 

 

とはいってもね、やはり少し心身ともに弱ってて、なかなかモチベーションが上がらない。

 

 

短めの作品でお茶を濁そうといろいろ捜していたら...「裁かるゝジャンヌ」が目に入った。

 

 

先日観たゴダールの「女と男のいる舗道」の劇中、アンナ・カリーナが涙を流しながら劇場で鑑賞していたのがその「裁かるゝジャンヌ」だったことを思い出した。

 

 

尺も96分と短めだし、まさに古典の名作だし、この歳になって今更だけど押さえておいて損はないだろうということで、今日はカール・テオドア・ドライヤーの「裁かるゝジャンヌ」。

 

 

ドライヤーの作品は若い頃に「奇跡」と「ガードルード」を観た記憶があるけど、内容はほとんど覚えてなくて、宗教絡みの作品で小難しいという印象しか残っていない。

 

 

今日の「裁かるゝジャンヌ」はまさにジャンヌ・ダルクの審問裁判と火あぶりの刑を扱っていて、これもまた宗教絡み...まあそれでも有名な歴史上の人物だし、いろんな意味で「教養」になるだろうということで、疲れた体を奮い立たせ、観てみた。

 

 

大昔...といっても1999年にリュック・ベッソンが撮った「ジャンヌ・ダルク」を観たのがこの聖少女との初めての出会いで、歴史に疎いながらも人物の概要は少し掴めているつもり...ああ、懐かしいなベッソンのあの作品。

 

 

あれは歴史戦争スペクタクルというか娯楽色の濃い作品だったと記憶しているが、ジャンヌ・ダルクの人物像を殊更に神聖化せずに描いていたのかな、いずれにしてもこれもまた記憶が曖昧...ダメだね。

 

 

今日のドライヤーの作品は1928年制作のサイレント作品...観る前まではその制作年代もサイレントであることさえ知らなくてね、まさに無知を恥じることから始まってこの作品を観たんだけど、ベッソンの作品とはまさに対極にあるような静謐な作品で、いや、実は観る前に少しだけ予習してみて、実際の裁判記録を忠実に再現するという試みに挑んだということで、それを人物のクローズアップ、まさに表情の変化を丁寧に追いかけて、なおかつサイレントということで映像と字幕で紡ぐ、それこそモンタージュ理論の基礎の基礎で積み重ねられている作品だった。

 

 

ぶっちゃけ何度も睡魔に襲われながら観たんだけど、ジャンヌを演じたルネ・ファルコネッティという役者の目の演技がこの作品のすべてといってもいいくらいのまさに熱演で、ジャンヌを追い詰めるわき役たちも含めてその「顔芸」を堪能する、まさに古典の作品、古きよき名作のたたずまい。

 

 

加えて孤高の殉教者としての少女・ジャンヌが、大人の審問官たちの誘導尋問でジワジワと追い詰められていく過程がサスペンスフルであり、なおかつパワハラ、セクハラのおぞましさに溢れていて、いろんな意味で胸騒ぎに襲われる。

 

 

にしてもサイレント映画、かなり久し振りだったと思うけど、今の映画にはない訴求力というか、それこそクローズアップのモンタージュで紡がれる、映画らしい映画でもあったように思う。

 

 

なるほどアーヴィン・カーシュナーのあの名言が改めて思い起こされ、キャラクターをいかに描くか、いかに人を惹きつける映像として表現するか...古典の名作にはヒントが溢れているなと。

 

 

たまにはシネフィルを気取ってこういう作品も観ておかないとね。

 

 

人生は一生勉強だからさ。