日曜日...いやもう月曜日。
またレイトショーに。
月曜日の仕事が少し遅めというのもあって、ていうかね、最近どうも夜型が抜けなくて...実は今日も寝坊。
映画どころではなくて、慌てて洗濯したり何やかやしてたらもう夕方...ダメだね。
でもまあ、今日はもうレイトショーに出掛けるつもりだったのもあって、いつものウチでの映画はパス。
という訳でいつものとしまえんに自転車を駆って...スピルバーグの「フェイブルマンズ」を。
余談だが、スピルバーグ作品を劇場で観るのっていつ以来だろうとふと考えてみると...恐らく「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」以来だ...ごめんよスピルバーグ。
今日のとしまえんも日曜日の深い時間ということで5番スクリーンには私を含めて4,5人といったところ。
後ろのバカップルのおしゃべりと前でゴソゴソしてたおっさんに少しイラっとしたけど、まあ基本的にはレイトショーの特権を享受でき、物語にほぼ集中できたように思う。
また余談だが、昨今のシネコンで観るヴィスタサイズの作品における左右のスクリーン黒浮問題に遭遇し、そこだけは改めてがっかり...昔のフィルム上映される映画館のあのカーテンでちゃんとマスクする「気配り」がない、まさに塩対応ならぬデジタル対応ならではの「冷たさ」にはモヤモヤ...
まあいいや、気を取り直して「フェイブルマンズ」。
私が今更あれこれ言うまでもないけど、映画の申し子スティーブン・スピルバーグのある意味集大成的な作品という位置付けなのか、自身の幼少期にいかに映画に魅了され、影響され、いかに映画人になっていくかをノスタルジーたっぷりに綴る...スピルバーグにとって映画とは何か...そんなイメージを何となく抱いていたんだけど、想像以上に穏やかで、想像以上に静かで、なおかつ優しい、そんな不思議な作品だった。
もちろんスピルバーグの幼少期は両親の離婚だとか、それこそユダヤ人として差別されただろうから、その多感な時期において色々ドラマはあったんだろうけど、この作品の中ではそれらをあえてドラマティックには描かず、極めて静かに淡々と描いていたように感じた。
もちろんラストはこれからスピルバーグが映画人として駆け上がっていく華やかな未来を想像させるような終わり方ではあったんだけど、全体的に極めて無駄のない、いろいろと削ぎ落とされた上の「ドラマ」がもうホント、淡々と綴られていたので、よくも悪くも肩透かしだった。
原題の”THE FABLEMANS“はフェイブルマン一家という意味合いだと思うけど、まさにスピルバーグの分身である少年サムが映画に魅了され、映画を撮ることに憑りつかれていく物語をやや母親メインで綴ったホームドラマ、行ってみれば山田太一の「岸辺のアルバム」を極めて優しく、穏やかに描いた、そんな作品だと言えばいいのか...いや少し違うかもしれないけど「ボーイミーツガール」もひと通り描いたことも含めて、まさに古きよきアメリカのユダヤ人家族の優しい、優しい物語の中で少年が映画を撮る意味に少しずつ気付いていく、そんな物語だった。
映画の醍醐味だとか、ハラハラドキドキ、エンターテイメントというのとは一線を画する、まさにこれまでの集大成というよりも、できるだけ肩の力を抜きつつ、無駄をそぎ落としつつ、優しく、優しく、どちらかというとこれまでのスピルバーグ自身の映画人生のというより、今の自分のご褒美に個人的に撮ったのかなとさえ思える、そんなかなり異色の作品「フェイブルマンズ」だった。
でもただひとつだけ、カメラを通して見る現実の厳しさだとか、怖さみたいなものを主人公がちゃんと感じて、そこに漂う寂しさだとか、葛藤みたいなものから映画人になっていこうとする過程はちゃんと描かれていたようにも思う。
アメリカでは全くヒットしていないようだが、それでもスピルバーグの名声はびくともしない。
いや、もう少しヒットしてもいいと思うんだけどね、せめてアカデミー賞は賑わせてくれる、かな?
あ、そっか、今日の夜、アカデミー賞授賞式じゃん...何とタイムリーな。
スティーブン・スピルバーグ...あまりにも偉大過ぎる映画人...もう尊敬しかないよね。
この作品で「スピルバーグにとって映画とは何か」が何となく見えたような、いや見えなかったかな。
どちらにしても、まだ観ていない作品も含めて彼のフィルモグラフィーを追いかけたくなるね。
さて...夜型から脱しないとね...うぅぅ。