COVID-19後遺症か、体調が思わしくなく、鉄行動を控えております。
(でもこの週末、プチ旅に出ました・・・報告は来週。)
よって、「蔵出し投稿」が続きます。
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2泊連荘の「函館本線夜行」で、
8月9日5:01、この旅行3度目の函館着。
そこから5:30発の青函連絡船(摩周丸だったと記憶)に乗船して離道、
9:20に青森着。
さて「行事」と言うのは・・・
ERWが道南を周遊している間、所属していた音楽団体は「夏の地方演奏旅行」に出ており(多分8/07仙台・8/08盛岡・8/09沼宮内・・・その間ERWはぶっち)、最後の8/10青森公演のみに参加するためこの地入りしたのでした。
※今から思えば、相当の「不良団員」でしたねー。
でも一行と合流するのは8/09夕刻、ということで、この後長ーい時間青森駅で待機していたのでした。
「Challenge 20,000km」証明写真 (1983-08-09 青森)
※既に東北本線は完乗済で、ここと東京駅の証明写真を撮って送れば1線区認定となった次第。
※真夏の2泊夜行明けで、服はドロドロ、タオルを首に巻いて・・・「風呂入りてぇ!」
583系特急「はつかり8号」(1983-08-09 青森)
※既に東北新幹線が盛岡開業しているので、この「はつかり」も盛岡行。青森発9:40。
ED75 130[盛] (1983-08-09 青森)
※旧客を従えたこの75は盛岡区所属の様だ。だとしたら青森発10:16の盛岡行きか。
ワキ5000[5119] (1983-08-09 青森)
※傍らの貨車群の中から、ERWとしては珍しいワキさんの記録。
485系特急「はつかり12号」(1983-08-09 青森)
※時計が11:35を指しており、11:40発の「はつかり12号」と思われる。手前の最後尾車両はクハ481の1500番台。嘗て北海道で辛酸を味わった「いしかり形」の先頭車。
スハフ42 2081[秋アキ] (1983-08-09 青森)
※側線に控える旧客群も電暖化対応の2000番台となった。もう北海道形は居ない。
※戦後の代表的旧客と言えるスハ43系の緩急車。
マニ36 2088 (1983-08-09 青森)
※折妻屋根が表しているように戦前形客車の系譜で、新製は1934年のスロ30869、称号改正でオロ35 20、1959年電暖化でスロ43 2020、1965年三等車化でスハ54 2020、1967年に荷物車化で当該番号、1986年に廃車。
スユニ50 2023 (1983-08-09 青森)
※50系の郵便・荷物合造車。1978年初製。
オハフ50 2163 (1983-08-09 青森)
※レッドトレインもここでは2段窓の「暖地形」。ただしやはり電暖化で2000番台を名乗った。
オハ50 2110 (1983-08-09 青森)
※光線の加減から奥羽本線・津軽線用の6番線か?乗客は「下車」している様で、弘前から着いた633レか?だとしたら青森着14:04。
実は、演奏会終了翌日の8/11にも青森駅で駅撮した様で、その区切りが分からなくなっています。
とりあえずここでフィルムチェンジしているので、日付も変わったものとしておきましょう(いいかげん)。
既に身体が疲れ果てていたので、午後はずっと駅の待合室に身を寄せ、沼宮内からの団員を只管待っていました。
そして夕刻に漸く合流し、3日振りの「ホテル宿泊」。溜まりに溜まった汗と埃を洗い流しました。
つづく
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