「オミクロン禁足」状態なので、引き続き「蔵出し」を。。。
1982年夏、「ゆうづる9号」で青森まで向かう兄を残し、ERWは盛岡で下車(6:21)。
久し振りの「乗り鉄」路線は花輪線。
まだ「Challenge 20,000km」やっているので証明写真撮るべきだったが・・・何も残っていない。
接続時間の影響か?
盛岡発6:33の急行「よねしろ1号」に乗車。好摩から花輪線乗り入れ。
好摩-大更間は1975年夏の父との旅行で乗車しているので、大更から未乗線区。
但し十和田南での方転以外は特に記憶無く、9:18大館着。
僅か2分の乗り継ぎで9:20発急行「むつ1号」で青森着10:44。
ここで漸くネガの記録があります。
485系特急「はつかり」 (1982-08-18 青森)
※乗り鉄中の撮影の記憶は薄いのだが・・・青森駅で間違いないだろう。
※青森発11:20の「はつかり8号」上野行と思われる。もとい、光線の回り方から12:55発の「はつかり10号」の可能性の方が高くなった。当時の使用車両はどちらも485系である。
※東北新幹線大宮-盛岡間が開業していたが、この時点では在来線「はつかり」の上野-青森間運転は継続。但しこの後11月のダイヤ改正で「はつかり」は盛岡-青森間のリレー特急に転身する。
これはいわば「在来線長距離特急最後の夏」の輝き。
EF75 704 & 709 (1982-08-18 青森)
※ED75の最終区分番台・700番台の並び。
※1つ前が「はつかり10号」なら、この2本の列車は、12:55発急行「きたぐに」と13:19発弘前行626レと推定できるのだが・・・。
13:05発「くりこま4号」に乗車。
13:38に降りた駅で撮った写真と思われるのが。↓↓↓
ED75 1022 (1982-08-18)
後付けではめているから撮影場所が分かり切っている感じだが、実際はネガを見たとき「ここは何処?」と迷っています。
で、右上に写っている看板を超拡大すると、、、
(1982-08-18)
※右方向「出口・大湊・大畑方面」
左方向「青森・弘前・北海道方面・(南部縦貫鉄道)七戸方面」
・・・ということで、
「Challenge 20,000km」証明写真 (1982-08-18 野辺地)
※はい、野辺地駅と判定です。
ED75 1035[青] (1982-08-18 野辺地)
でも南部縦貫レールバスの姿は無く(若しくは撮らず)?、14:41発のディーゼルカーに乗車。
侘しい下北半島の柄部を列車は進み、
「Challenge 20,000km」証明写真 (1982-08-18 大湊)
※15:53大湊着。
同
※大湊線用と大畑線用に、御丁寧に2種類証明写真を撮っています。
※しかし凄い髪の毛だな・・・うらやましい!?
キハ22 152[盛オミ] (1982-08-18 大湊)
※陸奥湾が見える?大湊駅。
キハ22 164[盛オミ] (1982-08-18 大湊)
※この地区の主役は北海道と同じ、寒地形キハ20系のキハ22。その相棒は・・・
キハユニ26 22[盛オミ] (1982-08-18 大湊)
※貴重な合造車・キハユニ26。
※それにしても、こちらのホームにも積み込みを待つ郵便と荷物の山が・・・鉄道輸送が頼りにされていたGood Old Days !!
16:07発、この大畑線列車に乗車し、
「Challenge 20,000km」証明写真 (1982-08-18 大畑)
※16:44、大畑駅着。
※下北-大畑間18.0kmの大畑線は1985年に下北交通に譲渡されたが2001年に廃止されている。
ここからバスに乗り、その日の宿泊地である下風呂温泉に到達。旅館で兄と再合流しました。
(兄は青森からレンタカーを借り、下北半島をドライブしながら下風呂へ到着。)
今日の小奇麗な温泉では味わえない様な、強烈な血の匂いがする鉄分いっぱいの湯場が印象的でした。
尚、「下風呂」と言えば、撮っておくべき鉄道遺構があったのですが・・・情報不足で記録せず。
「何だか鉄道施設みたいだな。」と思いながらぼーっと見上げてはいたのですが。
(当時はまだ観光用に整備されていなかったと思います。)
つづく
※※